東京ふうが36号(平成26年 冬季・新年号)

銃後から戦後へ 28

東京大空襲体験記「銃後から戦後へ」その28

= 我が少年時代の犯罪 =

鈴木大林子

旧制中学校入学の頃から次第に視力が減退し始め、五十音順に定められた席順が偶々最後列であったこともあって、2年生になる頃には黒板に書かれた文字や図形が殆んど読めなくなってしまいました。一般に言われる視力低下の原因としては遺伝、眼疾、眼の酷使、栄養不良、ストレス等が擧げられるようですが、私の場合は3番目の眼の酷使が最大の原因だと考えられます。子供の眼の酷使といえば直ぐに連想されるのが運動嫌いの勉強家、牛乳瓶の底みたいなレンズの入った丸眼鏡を掛けた色白の秀才少年ですが、勿論私が勉強好きの秀才であるわけはなく、たゞ本を読むことは大好き。と言っても子沢山(兄弟姉妹6人は当時では平均的な数)の安サラリーマンの家では子供に本を買い与えるなどは年に1度か2度ぐらい。そこで学校の図書室や友達からの借本を利用しましたが、学校の図書室にある本は教科書の延長のようで面白くない。友達から借りるのは催促が厳しいうえに反対給付を要求されるので嫌だ。ということで辿り着いたのが本屋での立ち読み。ところが忽ちメンが割れ(警察や裏社会の用語で顔を知られること)、入店した途端にツマミ出されてしまうのでこれもダメ。僅かに残った道は街の貸本屋で、今では殆んど見掛けることもなくなりましたが、当時は各町内に1軒か2軒はあり、大抵は駅の裏口か住宅街の外れにあって、間口が1間(1.8メートル)奥行2間程度の小さな店で、店番は区役所を定年退職した老夫婦(当時は50才が一般的な定年。今なら働き盛りの壮年期だが、当時50才は立派な老人)が交代で勤めるという形が多く、殆んど居眠りばかりしているので立ち読みには寛大でしたが、何せ店が狭過ぎて2、3人しか入れませんから長時間の立ち読みはどだい無理でした。貸出料金は忘れましたが、3日で5銭(現在に換算すると200円位か)、1日返本が遅れると1銭追加といったところだったと思います。貸し出しする本は所謂大衆小説が最も多く、次いで小学生向きの冒険小説、それに漫画本も多かったと憶えています。

(つづきは本誌をご覧ください。)