ニーハオ中国俳句の旅 11
旧満州の商都・哈尓濱と石油の町・大慶 平成20年秋
蟇目 良雨
ハルピン(哈尓濱)容港から大慶へ
蜻蛉の空にさざなみあるごとし 有風
この句の作者である一俳人の記録を記し戦前のハルビンがどのような街であったかのよすがにしてみたい。
佐々木有風は明治24年生まれで東京帝大政治科を出て朝鮮や満州の土地管理のために作られた東洋拓殖の役員を務めたエリート。俳句は大須賀乙字に学び、後に飯田蛇笏の「雲母」に拠った。「雲母」僚誌として「朝雲」を創刊、ハルビンでは「韃靼」を創刊した。大陸時代の作に
クリスマス踊り娘サロメべろんべろん
羅紗売りのポポフが遭へる雪女郎
羅紗売りのポポフが遭へる雪女郎
といった作風を樹立。戦後は「風韻」を創刊、昭和28年「雲」を創刊した。(現代俳句大辞典より)
大正15年12月26日に大正天皇が崩御し、昭和へと改元される。佐々木有風は大正6年に東洋拓殖株式会社に入社して、昭和2年、旧朝鮮全羅北道益山裡里にある東拓裡里支店長であった。東拓は旧朝鮮で土地の取得と、日本農民の殖民を事業とする国策会社で明治41年に設立された。大正4年の対中国「21ヶ条要求」により、東拓の事業範囲が満州にも拡大され大正8年に哈爾濱に支店を設け、不動産金融を始めた。
(つづきは本誌をご覧ください。)