季刊俳誌東京ふうが 通巻42号 平成27年夏季号

東京ふうが42号(平成27年夏季号)

「旅と俳句」 台湾紀行(一)

石川英子

一、  臺灣紀行序
二、  三月十二日(木)出発
三、  三月十三日(金)国立故宮博物院見学
四、  三月十四日(土)台北市中心街観光
以下次号
五、  三月十五日(日)特急列車で台南へ
六、  三月十六日(月)安平古堡見学・高雄
七、  三月十七日(火)台北へ帰る
八、  三月十八日(水)帰国
九、  李登輝氏の「いま日本に望むこと」他
十、  あとがき


一、臺灣紀行序

立春が過ぎた頃、息子が久し振りに臺灣に行くと言い出した。二人の予定を調整して3月中旬に決定。李登輝著『台湾の主張』(PHP出版)を惚けた頭で付焼刃的に通読してたたき込む。
臺灣島は、17世紀初頭まで温かい気候の島に原住民達が、山地に平野に海辺に離島にと穏やかに分かれて住んでいた。
1629年にスペイン軍が上陸して占拠し、後オランダ、ポルトガル、イギリス、日本等の統治を経て、現在は中華民国として完全に独立国となった。国民は自由を謳歌し、経済の発展を遂げている。李登輝氏は日本国民として京都帝国大学を卒業し、後にアメリカの大学にも留学した。そして氏は本省人でありながら中華民国の総統となったのである。彼は、日本について次のように述べている。
日本という国も、これまで臺灣にとって大切な教師だった。都市問題に限らず、農業問題、工業の方法においても、臺灣は日本から多くのことを学んで来たのである。―後略―


二、三月十二日(木)出発

5時半起床、6時半家を出る。8時半に成田空港第一ターミナル到着、車をクラウンパーキングに依頼の後、旅行保険に加入、出国手続き、搭乗。10時20分、エバー航空BR195便離陸。
機体が安定した頃、快晴の眼下に純白の富士山が、頂上のお鉢の中から宝永山の噴火口まで瞭らかに輝いていた。南アルプス、中央アルプスの雪嶺が美しく屹立して並ぶ。機体の翼とプロペラが邪魔になったが撮影成功。日本の上空を出外れた頃、待望の機内食。今回は臺灣の航空機にしたので楽しみである。美しいチラシ鮨、ヌードル、果物セット、ケーキにコーヒーを完食。沖縄上空あたりから旅行予定をじっくり見直し、勉強をはじめる。機は何もない大海原をひたすら飛んだ。
13時半(臺灣の時差で一時間戻し)、臺灣桃園国際空港に着陸。入国審査の後両替する。5万円ずつで1万2千5百60元。円安の為、臺灣元の1元は3円97銭。
14時40分、タクシーにてホテルへ。運転手が問わず語りに「臺灣のタクシーは8割方トヨタ車ですよ、この車も立派でしょう。」大陸と変わらない北京語のはずだが、臺灣人は言葉が穏やかで静かな口調である。15時20分、台北市南京東路の国王大飯店に到着、簡単にチェックイン出来た。
部屋の水廻りを確認してから、コーヒーを淹れ、持参の菓子で暫時休息の後外出した。
街中に見る文字は日本の嘗ての旧字体の立派な漢字であった。北京語の発音は解らなくとも意味は理解出来る。歩道には食堂の卓と椅子、洋品店のセール品。湯浅バッテリーにヤマハオートバイ、ファミリーマート、セブンイレブンと吉野家。突然現われる道教寺院が賑やかである。天井まで積んでいる毛糸專門店で美しいぼかしの毛糸を購入。広大な台北駅前広場に日本統治時代から使われていたSLが磨かれて展示されていた。


(つづきは本誌をご覧ください。)