東京ふうが48号/平成29年冬季新年号表紙絵「良多先生追悼号」

東京ふうが48号(平成28年冬季・新年号)

ふうが・ずいひつ 大相撲の行司と俳人

—良多先生 死亡三日前の論文(2月9日執筆)

高木良多

 大相撲会の元立行司・36代木村庄之助さんが引退にあたっての言葉に一に勘、二に敏速、三に気力であるということであるということが述べられている。(朝日新聞29・2・6・夕刊)
 庄之助さんは1948年生まれ、64年入門、井筒部屋に配属、85年十両格、95年幕内格、2006年三役格に昇進、08年に38代木村庄之助を襲名、2013年定年退職されたという立派な経歴の持主で、実に半世紀を大相撲会の行司という職務に勤務という記事が書かれてあった。
 大相撲の行司と俳句の世界とは何の関係も無いように思われるが木村庄之助さんの50年間の心情として守られてきた「一に勘、二に敏速、三に気力」という心構えがわが俳句界にもどこか通ずるものがあるように思われたことがこの一文を草した所以である。

 俳句作りの方法は先ず、写生という方法を基礎におくべきである。その上に作者の見た発見又はおどろきということを置くということを教えられてきた。
 つまり一に写生という方法を基礎に置き、二に発見、三におどろきというような事実を表現すべきであるということである。
 この理論をまとめあげてきたのは、「風」の指導者沢木欣一先生であったのである。
 沢木先生はこの理論構成を作りあげるために長い年月をかけ実践のための努力を傾注してきたのである。
 俳句作りの構成の上で先ず写生という方法を打ち樹てたのは明治俳壇の先駆者・正岡子規によるものであるが、その上に「おどろき」と「発見」という方法を積み上げてきた構成の理論を打ち樹ててきたのはその後の多くの俳論家たちの努力の積み上げによるものである。
 他方、俳句作家の指導者の中から「俳句作りの方法」につき「写生プラス抒情」という方法につき指導している作家もあるとうかがってきたが、抒情という方法のことになると写生とは相容れない短歌的発想の根源になるということであろう。俳句作りの上では正攻法とは相容れない方法であろう。
 一考を要すべきところであろうと思える。

高木良多先生