季刊俳誌東京ふうが平成28年春号(通巻45号)表紙

東京ふうが45号(平成28年春季号)

寄り道 高野素十論

その16

蟇目良雨

中田みづほと濱口今夜による「句修業漫談」でホトトギスに転載された最後のものが今回取り上げる「句修業漫談(4)―草の名其他―」と「―再び「箒草」に就いて―」及び「―味に蔭(或は蔭の味)―」の三篇である。昭和5年9月号から10月号に「まはぎ」に掲載されたものが約半年以上遅れて「ホトトギス」昭和6年5月号に掲載されたものである。じっくり味わってゆきたい。

これも長文であるがしっかり我慢をして読み進めていただきたい。内容が少し砕けてきているのであるが、これは親しい仲間意識の表れと好意的に解釈するか、それとも、喧嘩を売ってきたと悪意で捉えるか微妙なところがある。

例えば「―草の名其他―」の中に、草の名前にしか過ぎない「猫じゃらし」が、猫をからかうために生まれて来たかのように思われる命名の仕方だと感心し、「おしろい」も、夕方から咲き初め夜中にいい香りを発し朝日が出る頃には萎れてしまうなどいかにも遊女を思わせると、命名した人をほめるついでに、人にあだ名をつける名人がいて形からは想像もつかない仕草を見つけて的確にあだ名をつける人を紹介している。そして秋櫻子の息子にまで筆を伸ばしている。
「きけば秋櫻子君とこの令息も中々この方面に頭が鋭敏で、お客でもあって帰ると、すぐ「お父さま今の人何に似てる?」と研究するそうだ。天才教育だ。」などとプライバシーに関することを書いたりしている。

また「―再び「箒草」に就いて―」の中では、秋櫻子の作品
利根川のふるきみなとの蓮かな
を俎上に上げて、「いくら秋櫻子君が実在説を主張するとも僕は、これは創造の句であると思ふ。などと作者にとっては余計なことに言及する中田みづほの言い方を秋櫻子が煙たがったこともあるかもしれぬ。

しかし何回も云うが皆それぞれ学識と世間的立場のある人たちであり、医者としても同窓で俳句では同じ釜の飯を食べた人たちである。またこの論が発表されたのは一年以上も前でその時は何らの反応も無かった文章だった。田舎の俳誌なら掲載してもよく、中央の俳誌に転載されたからメンツを汚されたと秋櫻子が本当に考えたかはいまだ信じられない。
それでは「句修業漫談(4)―草の名其他―」と「―再び「箒草」に就いて―」及び「―味に蔭(或は蔭の味)―」の三篇を見て見よう。

句修業漫談(4)
―草の名其他―
―句修業漫談のつづき―  みづほ、今夜

今夜。

「まはぎ」もとうとう創刊満一周年を迎へることになつた。一ケ年たつたからと云つてそれが別にどうしたと云ふ訳でもなし、妙に感慨めいた事を云ふのも徒に大切な紙面を空費するだけで何にもならないからよすとしようがしかしともかく一年と云ふのは一つの区切りだから此際我々がこの一年間に一体どんな仕事をしたか、また第二年以後「まはぎ」はどんな針路を取つて進むべきか、是を真面目に考えて見ることは必ずしも無駄なことではあるまい。
遠慮なしに物を云へば、僕はわれわれの雑誌「まはぎ」は発行部数に於てこそ、また従て頁数に於てこそいまだに小雑誌の域を脱していないが、質に於いては相当の仕事をなし来ったことを何人の前にも公言して憚るまいとするものだ。その仕事とは何だと言えば、即ち花鳥諷詠の芸術であるところの俳句の本質と、真の写生―純客観写生とは如何なるものと言うことを、或は雑誌をはじめとして諸種の応募句の採択に、或は此の漫談の形式を借りた言説に、倦まず説き明かし述べ伝えてきたことである。
その結果はどうであったかと言うに、最初我々の旗上げを聞いて馳集まった人々の中には随分色んな分子があった、いやどっちかと言えば最初から我々と同じ道を歩いて居ると見るべき人はその当時においてはむしろ少数であって、或は此の越後地方に昔ながらの伝統を保つて根強くはびこつて居る旧派の作者、或は客観写生の面白さを解するに至らずしてサッカリンの如き小主観の虚偽的甘美に魔酔された人、或はそれまでではないとしても、極めて常套的な物の見方をして唯鬼面人を嚇するやうな奇矯な表現の仕方によって是をおほはんとする人等々がその大多数を占めて居つたと云つても大した誤りでない様な状態であった。
是等の人々に迎合し「清濁併せ呑む」と称して無理想無標準な態度で其の発表慾を満足せしめて行つたならば天下泰平であつたのだらうが、然し我々が幾多の困難を予期して一旦事を図った以上、我々の抱負を天下に敷かずして止むべきでない。
大義親を滅するは道を行ふもののかねての覚悟である、我々は率直に、大胆に、自分たちの信ずる俳句の大道を呼号した。
言い難きことを敢えて言った。其の為には誤解も受けたし敵も作った。然しながら一方に於いては我々の道に横たわる荊棘は次第に取り除かれた。最初我々と主張を異にしていた人の内少数の者は遂に縁なくして袂を分かち去ったが、其の他の人々は漸次我々の説に共鳴し共に手を携えて写生の大道を行く同志となった。
我々の雑誌によって句作の洗礼を受けたものは日と共に其の信仰に熱を加え句作の手技もまた目覚ましい上達を遂げた。県外の相当名を売った既成作家も来って我々の事業を扶けるようになった。是等のことは決して僕の出鱈目な己惚れでではないと言うことは創刊当時の雑詠其の他の応募句と今日のそれとを比較して見れば一目瞭然である。然し乍らこれは素より我々独力の致す所ではない。
一つには虚子先生や諸先輩の陰に陽に我等に示された激励と誘掖の賜であり、一つにはわが「まはぎ」会員諸君の真摯な努力の結晶であると云はねばならない。とにかく「まはぎ」は昔から俳句が相当廣く行われながら真の俳句が如何なるものであるかがあまりにも少なく解せられていた此の北越の地の、黴臭い空気の充満した窓をおっぴらいて、清新な空気を注入したという功績をしょわされても、それは決して過当ではないと信ずるものである。
さて然らば「まはぎ」は今後何をなすべきかと言う問題になるが、別にかはつた事はない。われわれが従来やってきたことが決して誤つていないと云ふ信条の破壊されない限り、過去の我々の事業はまた同時に未来の我々の事業である。我々の力と根の続く限り一人でも多く我々の説く所を聞いて貰ひ、速やかに邪宗門の魔力からのがれて花鳥諷詠の芸術の法悦を味ふ人の多からんことを所期し祈願するのみである。是を措いて「まはぎ」の存在埋由はないのである。
感慨めいたことは云はないと前提しながらつい話は述懐めいててしまつて甚だ申訳がない。そこで今回の「句修業漫談」の話題だが、例によつて僕の頭は空つぽである。君は此の間からいやに落つき払って「天機漏らすべからず」と云ふ様な顔をしているが、何かうまい話の種でもあるのかね。先月の漫談は素十君と言う飛入りにすつかりさらつて行かれた形だが、その代り僕は聞き役で、近頃にない面白い目を見せて貰つた。が今月はまた君と差向いで君の鎌のかけ方次第では長講とまでは行かなくとも中講一席ぐらゐは敢えて辞せないつもりで居るよ。
みづほ。

いろいろ気まぐれな思ひつきを一年の間書きつづけて来たものだが、読者諸君もづい分毎月毎月、支離滅裂な談話に頭を悩しつづけられたことと恐縮に堪えない。しかし、いふところは支離滅裂な中に一脈の真実が絶えなんとしては細々ながら一貫して居るのを心づいてくれた人も少なからずあらうかと思う。自画自賛でこんな無理な注文もないものだが、兎に角俳句といふものは何ペん講釈しても、いくら永く研究してもわれわれは中々究極といふものには行ききれないものであるから、これから先の又一年も手を代へ品を代へていろいろと迷言を吐かうと思ふ。我々も、何も酔興にこんなことを話したいのではないが一月に一ぺんづつ何か話すつもりで二人が真面目に会合すると何となく得るところがあるやうな心持ちもするのでまあ言わば読者をだしにつかつて、勉強して居るといつても差支ないのである。でなければどんな物好な人間でもこんなこと半年とつづくわけはないのである。
読者も御迷惑でもつき合つて勉強してください。一人でも俳句といふものが少しでもつかめたならば、吾々の志もせられたとすべきであるから。
この前も皆で話し合つたことだが、草の名といふものには大変感心するやうな名前がある。たとへば、かやつり草とか鶏頭とかおしろい草だとか、其他、おいらん草、矢車草、雀の帷巾、猫じやらし等々のごとく限りないが、今これ等のうち写生という見地からこの命名の起源を憶測して見ると大変面白いことがあるやうに思ふ。
即、花が鶏冠に似て居るので鶏頭と名づけたり矢車の形そっくりであるから矢車草といつたりするのは。浅い、極めて芸の無い名前のつけかたで、まあそれに似たもので、最もよく近似したものをもって来たといふ手柄は無視出来ないが鶏頭だの矢車の花を見ればまあ十中の八九までは鶏冠草とか矢車草位な名前は思ひつくと思はれるのである。これ等の命名を浅い写生に喩へてもいいであらう。
ところがおしろい草、猫ぢやらし、かやつり草、雀の帷巾などの名前にいたつては実にその感覚のするどさにほとほと参ってしまふ位味の深い命名であることに気がつかれるであらう。この名前などは一寸一目見たばかりでは普通の人には現はし難い天才的のひらめきがある。その草の真髄をつかみ、しかも夾雑物を取り捨つる力を持つた人のみがはじめていひ得る名前のやうに思ふ。描じやらしは植物の方ではえのころ草といっているようだが、これが狗ころ又は、狗尾に似た点からつけた名前のようであるだけに猫じやらしという俗名には遠く及ばない。
あのなよなよと風に吹かれ、いかにも飄々として、撓んでいる猫じやらしの穂をつくづく見ていると、この草は猫をからかい遊ばせるために生えて来たのではないかと思われる程適確に猫じやらしなのである。この草の性情を掬して「猫じやらし」と言い出した人は非常に尊敬すべき人である。或は年月の間に、民の口々からだんだんと言い出され洗練されてきた名前かも知れぬが、猫じやらしという草を見ればもうどんなに研究して見ても一寸この名前よりもより真を伝ふる他の名はないようにさえ考えられる。
あるいは今、おしろい草という名を考えてみる。おしろい草といふ名前はこの花を一寸見ただけでは一寸理解に苦しむ名前である。白い花ばかりなら白粉かも知れぬが紅の花をおしろいとは変である。これから白粉がとれるとも思はれぬ。ところがこの花は夏の夕方に開く可憐な花である。四時半頃に片かげが出来ると開きはじめる。そして夜中開いていい香りを立て、朝日があたりそめるころには花が萎んでしまふ。あたかも遊女の性情を彷彿させるものがある。しかもその感じは甚だ奥深いもので一寸見たばかりではわからない。白粉の花、闇の花、か細い日蔭の花といふ心持がこの花を見て居るとだんだん深くなつて来る。香が白粉に似て居るとか白い粉を吹くからとかいふので白粉の花といふのならばさつぱり写生ではない。
ところがこの花は遊女などが夕近くなると浴みし化粧して客を待ち夜愛でられて朝から昼間は眠ってゐる、夕方から夜だけ花やかである、その花やかさにも一脈の寂しさが伴つて居る、これをおしろいの花、おしろい草とつけた人の顔が拝みたい程上手な名のつけ方である。写生の深みはこの間の消息と似て居る。
雀の帷巾などもことに此の感が深い。この雑草など一寸見ただけでは、何といふ名をつけてよいのか捕捉しがたき性質の只の雑草である。しかし何と「雀の帷巾」と名づけられて見るといみじくも云ひ得たりと感嘆これを久しうするばかりである。帷巾という感じが動かせぬことがわかる。しかもそれが「雀の帷巾」だといふにいたつては其を名づけた人の感覚の鋭敏なのにまさに驚倒させられるのである。
かやつり草といふ名前、おいらん草といふ名前なども考へれば考へる程、憎らしい名言であつてとうてい草の名とばかりいつて見過すことの出来ぬ味の深さを感ずるのである。
これ等及其他無数の草木の名前は一ペんにズバリとつけられたものもあらうし又幾年月の人々の口から口へ伝わり練られて最後の名前にまでもち来たされたものも少くないであらうが、俳句の写生といふことに考へおよぶとこれ等の草の名前は大へん興趣を呼び覚ますものである。
雀の帷巾などといふのは非常に主観の濃厚な写生でなくてなんであらう。僕の友人で今某大学の先生をして居るK君といふ外科医が居るが、其の君は僕が且て東京の大学の外科医局に書生生活をして居た時代、看護婦にあだ名をつけることの名人であった。
K君の母堂はK君の話によると君以上にあだ名のつけ方が上手なのださうだ。親ゆづりなのだが、そのあだ名のうちにはするめなどといふのがあつた。これなどはまあ顔が角ばつて居てうすつペらなところから大体わかるが、一人新潟から来て居た美しい看護婦にどぜうといふ名と与えた。もうその看護婦は皆でどぜうどぜうと呼んで居たが、このあだ名などはやはり写生と一脈相通ずるものが深い。この色白の少女をとらへて魚の中でも醜の醜たる、ぬらぬらとした鰌なぞらへるなどその看護婦の顔をいくら見つめて居ても感ぜられないのであるが、一たび其の看護婦が医員に用事があつて駆け寄つて来る時の動作を見ると、うまい―「どぜう」だ、そつくりだといふ感じを誰にでもあたへた。普通の人ならその女をいくらよく観察しても決して「どぜう」といふものには思ひあたらなかつたであらう。「どぜうのごとくクネクネして最後にチョロチョロッと医員のそばへ小走りにより頸をかしげる勤作から鰌そつくりの感じを吾々も同感し、しきりにどぜうどぜうと呼んだものであつた。
きけば秋櫻子君とこの令息も仲々この方面に頭が鋭敏で、お客でもあつて帰るとすぐ「おとうさま今の人何に似てる?」と研究するさうだ。天才教育だ。
こんなのが又写生の蘊奥を修得するのだらうが、人のあだ名などといふものにも今いつたやうに大へん深い感じをとらへ得たものと、極めて浅薄なのとある。
八角な顔だから八角時計だとか山羊鬚を生して居るから山羊なんていふあだ名は俳句にして見ればあまり面白い俳句ではないのである。
或はまた、カリカチユアなども名作になると本人よりももつとほんとうの現はれて来ることが少くない。漫画の顔の方がほんとうの濱口首相よりももつとほんものだという気持がすることがある。もっとも大切なところをしつかりとらへて再現するといふことの威力はここにもあらはれて来るものである。


(つづきは本誌をご覧ください。)