東京ふうが55号(平成30年秋季号)

コラム はいかい漫遊漫歩 『春耕』より

松谷富彦

(88)  春窮やルオーの昏き絵を展く  火原 翔

 反写実的、幻想的、暗喩、提喩、換喩、多彩なイメージ表現で寺山修司、岡井隆とともに「前衛短歌の三雄」と呼ばれ、昭和30年代以降の前衛短歌運動に決定的な影響と衝撃を与えた歌人、塚本邦雄。三島由紀夫、中井英夫に絶賛された第一歌集『水葬物語』を皮切りに85年の生涯で80冊を越える歌集を遺した塚本は、句集も『断弦のための七十句』など七句集を上梓している。

 本題に入る。一昨年(2016)、日本現代詩歌文学館(岩手県北上市)で開催された「塚本邦雄展」の折、収蔵の遺族寄贈の遺品の中から『火原翔  俳句帖』と表記された大学ノートの自筆句稿が館員によって偶然発見された。

 「23年10月」の前書で始まる冒頭句が掲題で、〈禁欲のアダムよ栗の花は零れど〉〈曼珠沙華わが亡きのちも紅からめ〉など。11月の項には〈炎天に漆黒のピアノはこび去る〉など、24年3月の項まで352句続く。さらに「棘のあるSONNET」の前書で〈三日月麺麭(クロワッサン)の絵を革命歌作詞家に〉の冒頭句以下38句が記されていた。

 平成30年2月に短歌研究社から刊行の『文庫版塚本邦雄全歌集第一巻』に第一歌集『水葬物語』、第二歌集『装飾楽句』、第三歌集『日本人霊歌』と合わせて『火原翔 俳句帖』も収載。同書から俳句と短歌を抜き出してみる。

  炎天に漆黒のピアノはこび去る
  革命家作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ
  春窮やルオーの昏き絵を展く
  春はやく肉體のきず青沁むとルオーの昏き絵を展くなり

 この四例からも初期歌集が俳句帖の句に呼応、変奏されていることが分かる。同書の「解題」で塚本に師事した歌人の島内景二は記す。〈この俳句帖の存在によって、塚本の短歌に賭ける志は、俳句に賭ける志であり、「詩歌」さらには「文学・芸術」に賭ける志であったことが証明されるだろう〉と。

 俳句帖2年目(昭和24年)、塚本は、「青樫」の竹島慶子と結婚。当時の生活を詠んだ五句を引く。〈幼妻酢をもて牡蠣を殺しけり〉〈凍雪に雪ふりつもる夜の娶り〉〈宍道湖のしんじつ妻にはるかなる〉〈薔薇の芽のあやふく父となりにけり〉〈父となる夜やさかのぼる春の潮〉


(つづきは本誌をご覧ください。)