東京ふうが73号(令和5年春季号)

韓国俳句話あれこれ 18

本郷民男

▲ 束の間の隆盛

昭和六年の『カリタゴ』三月号の「婦人雑詠」は、入選句に高等女学校の生徒がずらっと並ぶなど、若い新人が増えて元気がありました。瀬戸高女が石原千代・道満幸枝・山元節子・石原清香など十七名を数えます。単に瀬戸となっている人もいます。木浦モッポ高女が立花仲子・倉藤喜美子など四名、松山高女が松田時枝子の一名です。瀬戸高女の額田芳枝の「紫にもえゐる炭火運ばれぬ」に久女は、

炭火の色が新しい感覚でえがかれてゐる。總じて狭霧會員の句は若々しくのびのびしとして快よい。このやはらかい若竹のみづみづしさは即ちのびゆく生命の感觸である。

木浦高女の立花仲子の「生垣に咲きこぼれたる椿かな」の後に、

今度は木浦方はあまりふるひませんね。松山高女もどうなされたか?、木浦松山瀬戸と鼎立してふるはれたら華々しい接戦となるでせう。木浦方の奮起をのぞみます。

最後に久女は次のように書きました。

瀬戸高女の生徒さんの投稿にはじめて接した。個々の句はまだ未完成の習作であらうとも、それは成長への希望ある歩みである生命の芽ののびる喜びである。豊かな個性の花を咲かせられる日をたのしみに拜見します。

井上兎徑子の編集後記には次のように。

△創刊當時の同人で物故した者は三猿郎君だけです。同君によつて婦人俳壇を設け又女流のため糸屑會を設けたことは我半島では初めての試みでありました。…同君の逝去のあと幸ひにして杉田久女先生は婦人雑詠の選者として親しく御指導を下さることになつたので本號の如きは投句者の數に於ても句の質に於ても非常な進歩を致して参りました。将来益々發展する事と思ひます。カリタゴの花と譬ふべきものであります。

 瀬戸高女は、愛知県と岡山県にありました。韓半島への移住者は山口県、九州北部、四国が多かったことから見て、後に岡山市に編入された岡山県瀬戸町の瀬戸高女だろうと思います。 瀬戸高女から狭霧會として大挙して投句が来たので、久女は楽しみにしたのでしょう。「松山はなつかしい曾遊の地である」と久女が書いています。

 


(つづきは本誌をご覧ください。)