令和3年冬季・新年号 佳句短評

東京ふうが 令和3年冬季・新年号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報429回〜432回より選

寒晴や孤独地獄の中に立つ  蟇目良雨

孤独地獄などという言葉は使うまいと思ってきたが、妻の危篤を見てやがて来る孤独な生活を思うと妙に親しい言葉になってきた。寒晴の路地裏に立ち空を見上げていた時の感懐である。

久女忌や松葉に積もる夜の雪  乾佐知子

杉田久女が亡くなって七十五年が経った。久女に思いを馳せる人は一月二十一日が近くなると色々感懐に耽る。松葉の細かい針にまでしんしんと降り積もる雪を見て、寒さの中で孤独死した久女を偲んでいるのである。

漱石忌ささいなことに筋通し  深川知子

江戸っ子の何でも見てやろうという野次馬根性が身に着いた漱石と子規がいたことは日本にとって幸せであった。英文学を学んだといえ根は東洋の美が沁みついていた漱石は何でも禅問答のように落着しないと気が済まない。鏡子夫人以下子供達にも無理難題を吹きかけたらしい。作者も小倉女らしく筋を通さなければ済まない性格。だから人間関係は楽しいのだ。

生涯の友は夫とも老いの春  小田絵津子

この句はある年代に達しないとなかなか理解できないのではないだろうか。離婚や病没による別れなどが待ち受けている現世で夫婦のままで老境を迎えることは実は奇跡に近いことだと思うようになった。月並みのことを言っているようだがそれが尊いと思える年代になったし俳句の読みも深まったと思う。