「「墨痕三滴」佳句短評」カテゴリーアーカイブ

令和5年秋季号 佳句短評

東京ふうが 令和5年秋季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報461回〜464回より選

上州のべえべえことば稲の花  古郡瑛子

面白い作品を作る人である。稲の花の咲く昼前に耳を澄ませていると農民たちが上州訛の「べえべえ」言葉で話し合っているのが聞えたのだ。赤城山の麓に育った作者には懐かしく聞こえて来たに違いない


すこしづつ我を失ふ花野道  弾塚直子

広々とした花野に立ったとき詩人の意識は段々薄れてゆき、今を忘れ過去を遡ったり、未来に飛んだりするのでは無いだろうか。花野には人生をリセットする力がありそうだ。


ポリバケツの田んぼに咲くや稲の花  伊藤一花

簡単に稲をポリバケツで育てると言っても様々な苦労があるのだろう。ようやく稲の花が開くところまで辿りついた努力も分かる。お米の収穫まで頑張って欲しい。


令和5年夏季号 佳句短評

東京ふうが 令和5年夏季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報459回〜462回より選

角合はす牛の眼力油照  乾佐知子

真夏の牛相撲大会の一こま。隠岐や山古志では八月に闘牛が行われるから、こんな光景が見られるはず。角を合わせて一歩も退かない牛の眼を見れば、戦う意思をこめた眼力そのもの。多くの旅の中から得られた一句。油照の季語の採用で眼が脂ぎっているように思える。

魚の尾のまな板を打つ走り梅雨  田中里香

活き魚を調理するとき魚の種類は限定されるだろう。鯛、ヒラメ、鯵や鯉なども該当する。まな板に置かれて捌かれる魚は尾鰭を激しく俎板に打ち付ける。水しぶきがあたりに飛んだ刹那に、作者は梅雨の到来を感じたのではなかろうか。

遠くまで行くんだ僕の好きな夏  伊藤一花

お孫さんの言葉をそのまま句にしたように思った。夏休みにどこに行くのと尋ねたら「好きな夏だから遠くまで行くんだ」と返事をしたのだろう。多分これが正解だと思うが、作者自身も活動的な方であるから、心の底では同じようなことを叫んでいると思った。


令和5年春季号 佳句短評

東京ふうが 令和5年春季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報457回〜459回より選

大谷のミサイル打球風光る  小田絵津子

WBCの試合は、大谷翔平君がいたためか国民の多くが観戦した。投手と打者の二刀流ながら彼の打つ打球は速い。それをミサイル打球と表現してみんなが納得するほど実際に速いのである。大谷恐るべし‼

水瓶に盈ちゆく春の愁ひかな  河村綾子

水瓶(すいびょう)といって観音様が左手に下げているものは本来聖水が入っているが、この中に春の愁が満ちてゆくと見立てた感性が光っている。

佐保姫来る「さうだ床屋へ行かなくちやあ」  古郡瑛子

春の使者佐保姫が来るので髪を綺麗に整えて待ってあげようという句意。床屋だから男だろうが、婆さんになると床屋で髪を切ってもらい髭を剃って貰ったりすることもある。


令和5年冬季・新年号 佳句短評

東京ふうが 令和5年冬季・新年号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報454回〜457回より選

交はりの二三捨つるも年用意  蟇目良雨

己を見詰め直すために必要なこと。断捨離の一部になるのか。

別珍の足袋つぐ夜半や一葉忌  乾佐知子

毛羽の立つ保温性の優れた足袋を一葉にも履かせたいと願う心がうれしい。

鮟鱇と同じ顔して下足番  高橋 栄

鮟鱇鍋屋の下足番はいつも下をむいているのかしら。失礼ながら観察眼は鋭い。


令和4年秋季号 佳句短評

東京ふうが 令和4年秋季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報450回〜453回より選

盆僧の茶髪にピアススケボーで  大多喜まさみ

 この句には驚いたので作者に聞いたら、こういう若い僧がいると言う。仏教界が人々に寄り添う時代になってお坊さんらしからぬ風体をすることも影響しているか。個人的には地獄を説くより好ましいと思っている。

ヨコハマのブルーライトや鰡の跳ぶ  高橋 栄

 当然「ブルーライトヨコハマ」が頭の隅にある。横浜港のブルーライトに照らされた夜の鯔に新味がある。

夕風やあをあを冷ます月見豆  弾塚直子

 月見豆(枝豆)を青々と冷ますところに俳句の味がある。一種の冒険だが成功していると思う。


令和4年夏季号 佳句短評

東京ふうが 令和4年夏季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報447回〜449回より選

蹲踞して闇に真向かふ蟇  蟇目良雨

蹲踞する姿勢が人間臭いか。孤独な(人間が見ての話だが・・。)蟇が何を待っている闇なのだろうか気になる。

夕焼を縦に映して摩天楼  松谷 富彦

夕焼を「縦に映す」とは大胆な表現。摩天楼なら納得できる。

方丈に如来と伴に昼寝かな  大多喜 まさみ

方丈で如来さまと一緒に昼寝出来るのはお寺の家族くらいだろう。作者を知って納得した。在りそうでなかった作品。


令和3年冬季・新年号 佳句短評

東京ふうが 令和3年冬季・新春号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報442回〜444回より選

くづるるは吾が心かも霜柱 小田絵津子

霜柱がだんだん溶けて崩れゆくさまをみて不図おのが身を省みれば、心萎えている自分に気付いたという内容である。作者の心が悲しみに崩れているのは最愛のご主人を亡くされたから。静かな詠いぶりでご主人を悼んでいる。

禁断の密の楽しさ焼鳥屋  野村雅子

「禁断の蜜」と読み間違える面白さがこの句にはある。蜜ではなく密も平時なら容易に手に入るものであるが新型コロナウイルス禍の状況では禁止されたも同様である。そんな中で焼鳥屋の煙まみれのざわついた密に身を置いた喜びを表した。ささやかな禁断破りの喜び。

初燈あげたかと問ふ父の声  河村綾子

元朝に神仏に灯明を上げることを初燈という。起きてすぐ父から「初燈あげたか」と声がかかったのだが、家長の父がするべきことを頼まれることは父が臥せっているのかも知れない。在りし日の一こまであろう。


令和3年秋季 佳句短評

東京ふうが 令和3年秋季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報438回〜440回より選

処暑の水裏がへしては鯉の跳ね 小田絵津子

それまで平穏だった池の水面が鯉によって裏返させられた。処暑の気分を鯉も確かめたかったのかしら。
水を裏返すと表現したことにより幾ばくかの面積の水が鯉の下半身によって持ち上げられ裏返されたようにスローモーションで見える。

わが生涯一線画す敗戦忌  荒木静雄

敗戦日を境に人生が変わってしまった人は多いことだろう。特に外地で終戦を迎えた人々は猶更のこと。作者の満州からの引き揚げ記が本号に掲載されている。戦争はしてはいけないと作者は一句に籠める。

起こしてはならぬ将門石叩 島村若子

石叩は虫を求めて地面を気ままに歩き回る。しかも長い尻尾を地面に打ち付けながら。ちょっと石叩さんそこは平将門が眠る地だから将門を起こしてはなりませんよ。将門の祟りは恐ろしいものなのよ。


令和3年夏季 佳句短評

東京ふうが 令和3年夏季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報435回〜437回より選

湯加減を聞く母の声栗の花    乾佐知子

浴室の外にある風呂の焚口から母が湯加減を訊ねている。換気窓を開けて返事をする作者。ふと目をやると栗の花が見える。懐かしい世界。

機嫌よきややの涎や草田男忌   河村綾子

作品に固有名詞として人物が出ている場合、その人物を匂わせてくれる関係性が必要。中村草田男の無心さはまさに赤子のようであるから、嬰児が機嫌よく涎を流している景色は草田男忌に相応しいと思う。

夏の夜やコルトレーンとバーボンと 野村雅子

ジャズを聴きバーボンを楽しむ夏の夜の解放感に溢れる一句。作者の心の若さが作り上げたもの。いつまでも続けて欲しい心の若さ。


令和3年春季 佳句短評

東京ふうが 令和3年春季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報432回〜434回より選

鳥帰る沼は太古の色湛へ  深川知子

水鳥が太古のころから日本に渡ってくる事実に感動したのだろう。力強い一句になった。

青春の彷徨に似て蜷の道  松谷富彦

蜷の道は水底に当てどなく描かれている。その形が作者の青春の彷徨に似ているとしみじみ感じ入っている。

雛僧の箒にからむ春の蝶  小田絵津子

雛僧は小僧のことで「すうそう」「こぞう」「ひなそう」などと読む。小僧が結界を掃除中に箒にからむ春の蝶。のどかな心なごむ光景だ。