「「墨痕三滴」佳句短評」カテゴリーアーカイブ

令和5年冬季・新年号 佳句短評

東京ふうが 令和4年冬季・新年号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報454回〜457回より選

交はりの二三捨つるも年用意  蟇目良雨

 己を見詰め直すために必要なこと。断捨離の一部になるのか。

別珍の足袋つぐ夜半や一葉忌  乾佐知子

 毛羽の立つ保温性の優れた足袋を一葉にも履かせたいと願う心がうれしい。

鮟鱇と同じ顔して下足番  高橋 栄

 鮟鱇鍋屋の下足番はいつも下をむいているのかしら。失礼ながら観察眼は鋭い。


令和4年秋季号 佳句短評

東京ふうが 令和4年秋季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報450回〜453回より選

盆僧の茶髪にピアススケボーで  大多喜まさみ

 この句には驚いたので作者に聞いたら、こういう若い僧がいると言う。仏教界が人々に寄り添う時代になってお坊さんらしからぬ風体をすることも影響しているか。個人的には地獄を説くより好ましいと思っている。

ヨコハマのブルーライトや鰡の跳ぶ  高橋 栄

 当然「ブルーライトヨコハマ」が頭の隅にある。横浜港のブルーライトに照らされた夜の鯔に新味がある。

夕風やあをあを冷ます月見豆  弾塚直子

 月見豆(枝豆)を青々と冷ますところに俳句の味がある。一種の冒険だが成功していると思う。


令和4年夏季号 佳句短評

東京ふうが 令和4年夏季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報447回〜449回より選

蹲踞して闇に真向かふ蟇  蟇目良雨

蹲踞する姿勢が人間臭いか。孤独な(人間が見ての話だが・・。)蟇が何を待っている闇なのだろうか気になる。

夕焼を縦に映して摩天楼  松谷 富彦

夕焼を「縦に映す」とは大胆な表現。摩天楼なら納得できる。

方丈に如来と伴に昼寝かな  大多喜 まさみ

方丈で如来さまと一緒に昼寝出来るのはお寺の家族くらいだろう。作者を知って納得した。在りそうでなかった作品。


令和3年冬季・新年号 佳句短評

東京ふうが 令和3年冬季・新春号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報442回〜444回より選

くづるるは吾が心かも霜柱 小田絵津子

霜柱がだんだん溶けて崩れゆくさまをみて不図おのが身を省みれば、心萎えている自分に気付いたという内容である。作者の心が悲しみに崩れているのは最愛のご主人を亡くされたから。静かな詠いぶりでご主人を悼んでいる。

禁断の密の楽しさ焼鳥屋  野村雅子

「禁断の蜜」と読み間違える面白さがこの句にはある。蜜ではなく密も平時なら容易に手に入るものであるが新型コロナウイルス禍の状況では禁止されたも同様である。そんな中で焼鳥屋の煙まみれのざわついた密に身を置いた喜びを表した。ささやかな禁断破りの喜び。

初燈あげたかと問ふ父の声  河村綾子

元朝に神仏に灯明を上げることを初燈という。起きてすぐ父から「初燈あげたか」と声がかかったのだが、家長の父がするべきことを頼まれることは父が臥せっているのかも知れない。在りし日の一こまであろう。


令和3年秋季 佳句短評

東京ふうが 令和3年秋季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報438回〜440回より選

処暑の水裏がへしては鯉の跳ね 小田絵津子

それまで平穏だった池の水面が鯉によって裏返させられた。処暑の気分を鯉も確かめたかったのかしら。
水を裏返すと表現したことにより幾ばくかの面積の水が鯉の下半身によって持ち上げられ裏返されたようにスローモーションで見える。

わが生涯一線画す敗戦忌  荒木静雄

敗戦日を境に人生が変わってしまった人は多いことだろう。特に外地で終戦を迎えた人々は猶更のこと。作者の満州からの引き揚げ記が本号に掲載されている。戦争はしてはいけないと作者は一句に籠める。

起こしてはならぬ将門石叩 島村若子

石叩は虫を求めて地面を気ままに歩き回る。しかも長い尻尾を地面に打ち付けながら。ちょっと石叩さんそこは平将門が眠る地だから将門を起こしてはなりませんよ。将門の祟りは恐ろしいものなのよ。


令和3年夏季 佳句短評

東京ふうが 令和3年夏季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報435回〜437回より選

湯加減を聞く母の声栗の花    乾佐知子

浴室の外にある風呂の焚口から母が湯加減を訊ねている。換気窓を開けて返事をする作者。ふと目をやると栗の花が見える。懐かしい世界。

機嫌よきややの涎や草田男忌   河村綾子

作品に固有名詞として人物が出ている場合、その人物を匂わせてくれる関係性が必要。中村草田男の無心さはまさに赤子のようであるから、嬰児が機嫌よく涎を流している景色は草田男忌に相応しいと思う。

夏の夜やコルトレーンとバーボンと 野村雅子

ジャズを聴きバーボンを楽しむ夏の夜の解放感に溢れる一句。作者の心の若さが作り上げたもの。いつまでも続けて欲しい心の若さ。


令和3年春季 佳句短評

東京ふうが 令和3年春季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報432回〜434回より選

鳥帰る沼は太古の色湛へ  深川知子

水鳥が太古のころから日本に渡ってくる事実に感動したのだろう。力強い一句になった。

青春の彷徨に似て蜷の道  松谷富彦

蜷の道は水底に当てどなく描かれている。その形が作者の青春の彷徨に似ているとしみじみ感じ入っている。

雛僧の箒にからむ春の蝶  小田絵津子

雛僧は小僧のことで「すうそう」「こぞう」「ひなそう」などと読む。小僧が結界を掃除中に箒にからむ春の蝶。のどかな心なごむ光景だ。


令和3年冬季・新年号 佳句短評

東京ふうが 令和3年冬季・新年号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報429回〜432回より選

寒晴や孤独地獄の中に立つ  蟇目良雨

孤独地獄などという言葉は使うまいと思ってきたが、妻の危篤を見てやがて来る孤独な生活を思うと妙に親しい言葉になってきた。寒晴の路地裏に立ち空を見上げていた時の感懐である。

久女忌や松葉に積もる夜の雪  乾佐知子

杉田久女が亡くなって七十五年が経った。久女に思いを馳せる人は一月二十一日が近くなると色々感懐に耽る。松葉の細かい針にまでしんしんと降り積もる雪を見て、寒さの中で孤独死した久女を偲んでいるのである。

漱石忌ささいなことに筋通し  深川知子

江戸っ子の何でも見てやろうという野次馬根性が身に着いた漱石と子規がいたことは日本にとって幸せであった。英文学を学んだといえ根は東洋の美が沁みついていた漱石は何でも禅問答のように落着しないと気が済まない。鏡子夫人以下子供達にも無理難題を吹きかけたらしい。作者も小倉女らしく筋を通さなければ済まない性格。だから人間関係は楽しいのだ。

生涯の友は夫とも老いの春  小田絵津子

この句はある年代に達しないとなかなか理解できないのではないだろうか。離婚や病没による別れなどが待ち受けている現世で夫婦のままで老境を迎えることは実は奇跡に近いことだと思うようになった。月並みのことを言っているようだがそれが尊いと思える年代になったし俳句の読みも深まったと思う。


令和2年秋季 佳句短評

東京ふうが 令和2年秋季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報426回〜429回より選

追憶
妻となる人と別れて火恋し  蟇目良雨

遥か昔のことであるが結婚を約束した今の妻と密会した後の気持ち。妻は現在、風前の灯の命であるが、居るだけで安心する。甘いと言われようがどんどん妻恋の俳句を作るつもりだ。

浴衣着てアラン・ドロンに会ひに行こ  乾佐知子

若々しい作品。浴衣を着て花火を見に行くのかと思ったら、アラン・ドロンに会いに行くと言う。昔の一こまか、或いは映画にでも行ったのかな?

トランプもバカ殿もある案山子かな  大多喜まさみ

2020年を象徴する人物のトランプとバカ殿がいる。今年の漢字に「密」が選ばれたが、人物では作者の言っている米国大統領ドナルド・トランプとコロナで無くなったバカ殿の志村けんの二人だろう。的確な指摘だ。


令和2年夏季 佳句短評

東京ふうが 令和2年夏季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報4回〜421回より選

浴衣着てアラン・ドロンに会ひに行こ  乾佐知子

呉服屋の女将がこんな洒落た句を作るとは捨てたものではない。何時までも心は若くありたいもの。

ハローとなんて言つてみるサングラス  島村若子

サングラスをかけて人格が若返る。すっかりアメリカ人になり切ってサングラスを楽しむ。

夏の夜やコルトレーンとバーボンと  野村雅子

遊びに慣れないとこんな句は出来ない。金管楽器のジャズ曲に合う酒はバーボンしかない。