私と小倉と久女のこと
私と小倉と久女のこと
深川 知子
朝顔や濁り初めたる市の空 杉田久女
昭和2年 杉田久女38歳の作品である。市は今の北九州市小倉区、当時の小倉市である。朝顔の冴えた美しさを、動き始めた街の空と対照に詠まれた句。
昭和22年に生まれた私は昭和初期の小倉は知らないが、少し高台にあった小学校の窓から休み時間に眺めていた小倉の景色が広がり、強く郷愁を感じる句である。煙を吐くたくさんの煙突の向こうには玄界灘が広がっている。
その海に突き出た丘に橋本多佳子が住む櫓山荘があった。櫓山荘は当時北九州の文化人のサロンのような場所であったと聞いている。大正11年に虚子を迎える句会が行われたのも櫓山荘。「花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ」などですでに世に知られていた久女はこの句会をきっかけに多佳子に俳句を教えることになる。
久女に学ぶ多佳子、多佳子を指導する久女…想像するだけでわくわくする光景である。その頃の久女の句が
きさらぎや通ひなれたる小松道 久女
(つづきは本誌をご覧ください。)