澤木欣一の句集鑑賞
『白鳥』の風土
高木 良多
澤木欣一の句集『白鳥』はその「あとがき」によると「昭和62年より平成2年、67歳から70歳にいたる4年間の作品のなかから選んだ」とある。
またその中段では「一貫して即物具象し写生を指針として来たが、古稀以来、俳句は抒情の詩というより認識の詩ではないかと考えるようになった。山川草木禽獣魚介、石くれに及ぶ森羅万象の生命力・存在感をしっかり見てとらえ、身の内側に入れることが出来ればと念じている。そして悲しみと同時におかしみ・笑いが濃く出ていればこの上ない」と述べた。
その後段ではサンフランシスコをはじめ、北京、長安、ドイツのフランクフルトを訪れ垣間見るだけの旅であったがこれらの旅で、「各文化の質の相違が決定的であること、殊にその文化が各地の風土と歴史に根ざしていることを痛感した。」と述べ、俳句性は即ち風土性といっても過言ではなく、俳句の固有の構造・性質の柔軟な強さを今更のように新しいものと思ったとして俳句の特殊性を確認しているところが力強い姿勢であると思ったことである。
年立てり波の穂走る白兎 昭和62年
本年々頭の句。昭和62年は十二支の卯年の年であるので下五に白兎を据えた。
中七の「波の穂走る」が日本神話の中の出雲の国の主神、大国主の命を想い浮かべることができよう。
ワニの数を調べると称して白兎は沖の島より本土まで並べているワニを作者欣一は「波の穂」ととらえたのである。
神話はこのあと白兎はワニのために皮をむかれて裸かにされてしまうのであるが、そのような故事を踏まえて、白浜に押し寄せている波の穂はあたかも白兎のようであると詠み、白兎を波の穂に転換して、一句を完成させたのである。
(つづきは本誌をご覧ください。)