東京ふうが36号(平成26年 冬季・新年号)

曾良を尋ねて 19

54 芭蕉はなぜ「深川」へ移ったのか

乾 佐知子

芭蕉が深川に移住した一番の原因について、和田伸光氏の著書は「忠勝の失脚により、酒井家は元より藤堂家の権威は著しく失遂し、そのため両家の後ろ盾で追い風の吹いていた芭蕉の境遇は一気に逆風に変ったといえよう。」と述べている。私もこの説には全く同感である。更に私としてはこの説に加えてなぜ転居先が「深川」だったのかという点にしぼって調べてみたい。この事件はそのキッカケを摑む重要なポイントになると考えているので、今回は当件について若干の見解を述べたい。
それは芭蕉が最も頼りとする伊奈代官家に幕府の脅威が及んだことである。
綱吉が将軍になるや最初に手をつけた政策は幕府の財政の立て直しであった。当時幕府の年貢米の収益は減少の一途を辿っていた。無論近年に起った大地震や津波等の災害が重なったことも充分原因の一つではあった。しかし綱吉は何よりの原因は地方代官等の失政に有ると睨み、将軍宣下の二日前に堀田正俊に言いつけて諸国に布令を出し代官達の粛清を計ったのである。
この布令が関東代官頭の伊奈家を直撃したことは言うまでもない。それまで四代に亘り何十年間も関東一円の年貢米の徴収から河川の管理、その上村人の統制まで全て一手に任されていた伊奈家にとって、この幕府の介入は全く予期せぬ出来事であった。
伊奈家の歴代の事蹟については、本間清利著『関東郡代』という本が埼玉新聞社より出ているので参考にされたい

(つづきは本誌をご覧ください。)