主観による写生俳句を説いた 堀 古蝶の詩型の歴史的背景
高木良多
私はさきに「菽水と蕪村」(春耕平成27年3月号)、「若月瑞峰と高橋由一」(春耕平成27年7月号)、「富田直治俳句の詩魂」(春耕平成27年9月号)、「野田晶子俳句の詩型」(春耕平成28年2月号)、ついで「美しき山神地祇を詠む宮川杵名男の句集『律儀』の背景」(春耕平成28年3月号)を書いてきたが、同様の主旨から「風」「春耕」を通じて活躍してきた堀古蝶氏についても書いてみようと思って本稿を書き始めたのである。
堀古蝶氏は稀に見る奇特な俳人であったので手許にある資料だけでは不備であるので出版業者の多田英治氏や「万象」同人の内藤恵子さんらのご協力によりつぎのような古蝶氏の略歴がまとまったので左に列挙する。
《堀古蝶(こちょう)、本名健三のメモ》
大正10年愛知県に生まれる。
名古屋高商、ついで神戸大学の二校を卒業。
神戸大学在学中は「比較人類学」の教師につき、特別の指導を受けた。
昭和23年(1948)中部日本新聞社に入社
昭和34年(1959~1963)モスクワ特派員(第一回)
昭和42年(1963~1969)モスクワ特派員(第二回)
昭和46年(1971)「風」に入会
昭和47年(1972)昭和58年まで11年間東京新聞のコラム「筆洗」欄担当
昭和50年(1973)より「風」同人
昭和56年(1981)「風賞」受賞
平成5年(1993)『俳人松瀬青々』により俳人協会評論賞受賞
ロシアの政治家、大統領のフルシチョフの名に因み「古蝶」と自称するようになっていた。
《主な著書》
『細見綾子聞き書き』『主観俳句の系譜』『俳人松瀬青々』『筆洗歳時記』俳人協会の自註句集『堀古蝶』句集『白い花』『烏瓜花』『爲樂(いらく)』
平成9年10月6日死去、享年76歳。国分寺市恋ヶ窪の東福寺で葬儀。
(つづきは本誌をご覧ください。)