「旅と俳句」
平成二〇年 シルクロードの旅 天山北路
石川 英子
- Ⅰ 西 安
- 1 – はじめに
2 – 出 発
3 – 西安市初日
4 – 西安近郊見学
5 – 秦始皇帝陵見学
6 – 九成宮醴泉銘の大碑
7 – 西安の俳句 - Ⅱ 敦 煌
- 1 – 敦煌空港着 第一日目
2 – 莫高窟 鳴沙山 月牙泉雷音寺 第二日目
3 – 沙州市場
4 – 玉門関 陽関他の観光 第三日目
5 – 敦煌最後の晩餐
6 – 白馬塔他 第四日目
7 – 再見敦煌 柳園から列車の旅
8 – ウルムチ方面行寝台硬臥列車の旅
9 – 敦煌の俳句 - Ⅲ 新彊ウイグル自治区
- 1 – ウルムチ駅の喧騒他 ウルムチ第日目 2月18日(月)曇
2 – 吐魯番観光 2月19日(火)快晴
3 – ウルムチ第三日目 2月20日(水)晴れ
4 – 再びの西安
5 – 帰国の日 2月21日(木)快晴
6 – 旅を振り返って
Ⅰ 西 安
1・はじめに
古希最後の締めくくり、西遊天山北路の旅
一昨年の長江下りの時から秘めていた、敦煌への旅を決行する事になった。 主婦が二週間近く家を留守にするとなると、様々な障害が立ちはだかるが、年齢を考えるといかなる障害にも代え難い物が有り、ふんぎりが付かずにいる儘に息子の正人が適当なスケジュールの日程を組み、週二便のみの西安直行便の日本航空のチケットを買って、ゆとりを持ってホテルを予約してくれた。
また、予想外の別の息子の健司の仕事の忙しさと「犬の健太郎」の世話が最大の問題で有ったが、行動派の正人の予定に押しまくられて、出発日がせまる。
2月7日から健司は健太郎と会社に泊まり込み、11日に一旦帰宅して、雨戸は日曜日のみに開けて勤務を遂行、「健太郎」の鞄とベッド等を買って電車で一緒に通勤し、会社で健司の外出中は上司と事務員が世話してくれることになった。同行してくれる正人は前の晩に我が家に泊まり10日早朝に車で出発した。
2・出 発
2月10日(日)晴れ
夜の明けきらぬ6時、二人分の旅行鞄と登山用の中型ザックを積んで出発。途中酒々井のドライブインで軽い朝食を食べて時間調整の後、7時迄に成田空港第二ターミナルに到着した。駐車場の業者に電話をしてJALの前にて待つ内、八時少し前に車を取りに来てくれたので成田国際空港に8時半にチェックインし、障害保険に入ったが、八千二百十円と前回より千円高かった。年齢に比例するらしい。免税品店を楽しみ、辞書や本等の買い物の後、屋上から飛行機の離着陸を見物して待合室に戻る。10時前のアナウンスで搭乗すると間もなく、10時10分JAL609便が静かに離陸した。
機は快晴の日本上空を日本海に向けて横断。2月10日の一年中で最高の冠雪厚き日本アルプスの上空を充分堪能していると、針の山地獄の様に深い襞をきざみ巨大な鉄塊の如き剣岳、正人とザイルにつながれ腰迄雪に埋もれて、背後の槍ヶ岳から笠ヶ岳、そして浄土山を夕陽が富山湾に没する景を見て感激した立山連峰を鮮やかに眼下に見ながら機は富山湾より日本海に出た。西に向かって九州の頭部をかすめて、何と北朝鮮上空を横切って、しばらく黄海上空の見渡す限り大海原の上を飛んで、いよいよ中国大陸に山東半島より入国、早起きで眠いはずであるが、興奮して窓から目を離さずに航路を楽しんでいる内に、機は泰山の裾野を竜の如くうねる黄河の上空を飛び、平野の都市を抜け、河南省の白嶺の上空を経ていよいよ陝西省に入ったかと思うと、
「ピンポーン、間もなく西安に着陸態勢に入ります。シートベルトをお締め下さい。」
一度見てみたかった峰々や海そして朝鮮半島等を見ている内に時間はあっと言う間に過ぎて、一万二千キロの上空から耳に圧力をかけつつ徐々に高度を下げ初め、山中に街路や高速道路、鉄路等がはっきり見えて来た。
時計を北京時間に一時間巻き戻す。JALの機体ではあるが中国東方航空とのシェア便の為、中国語に続き日本語、英語と続く。内窓を開けてしばらく西安郊外の景色を楽しみつつ、2時5分頃西安咸陽空港着。
2月のせいか客は少なく、ビジネスクラスから降りる。昼食は機内で済んでいるので廻って来た鞄を取って、両替の中国銀行の窓口を探したが、一階には無く、大荷物を曳いて二階に上がった。ようやく見付けた小さな両替窓口は休憩中で誰も居ない。正人がATM機からVISAカードで五百元引き出した。