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東京ふうが50号(平成29年夏季号)

編集人が語る「東京ふうが」50号

「東京ふうが」編集人より
とあるところで「久女の悲劇の始まり」と題して講演した。「東京ふうが」をお読みの方ならすぐに虚子の陰謀でありその元を作ったのは素十であることがお分かり頂けると思う。今回学んだことは大正から昭和にかけての女流俳人の強さであった。いづれ勉強したいテーマである。
蟇目良雨

 

目 次


1 名句逍遙<29>  蟇目良雨
皆川盤水秀句鑑賞
高木良多秀句鑑賞
2 作品7句と自句自解ちょっと立読み

8 墨痕三滴(俳句選評) 蟇目良雨

10 寄り道 高野素十論 21ちょっと立読み 蟇目良雨
「久女の悲劇の始まり」

23 曾良を尋ねて 第33回 ちょっと立読み 乾佐知子
95 -立石寺・最上川より出羽三山へ –
96 -象潟と「みのの国の商人 低耳」 –
97 -越後・村上での曾良の一考察Ⅰ –
98 -越後・村上での曾良の一考察Ⅰ –

26 良雨●木曽の句 『俳壇』8月号「日本の樹木十二選」掲載より

28 <特集>例句から読み取るオノマトペ俳句考ちょっと立読み 松谷富彦

32 旅と俳句 台湾紀行III
閩南語の島々を訪ねて(2)ちょっと立読み
石川英子
1.序
2.出発 桃園国際空港へ
3.金門尚義空港から金門城

42 他誌掲載より・句集案内「菊坂だより」

44 第10回 遊ホーッちょっと立読み 洒落斎
(1)童謡「かなりや」
(2)せりふ(台詞、科白)

45 あとがき

46 句会案内

表3 東京ふうが歳時記 <29> 編集部選

(つづきは本誌をご覧ください。)

句集逍遥—高木良多句集『雪解雫』の清新さ

 昭和五十七年十月に高木良多第一句集『雪解雫』が刊行された。発行所「風発行所」、発行人「細身綾子」。印刷所「鋭文社」。和紙を貼った白一色の箱には只「雪解雫」と題簽が墨書されているだけの簡単なデザイン。本体は鬱金色の布地を貼ったハードカバー本。

 当時、私はまさに俳句を始めたばかりであり、句集の良し悪しなど判るはずもなかった。四十歳になったばかりの割烹「ちよだ」という料理屋の経営者でゴルフに夢中になっていた頃である。

 今、四半世紀を過ぎて改めて『雪解雫』を手に取り驚きを感じた。題簽は書家の齋藤丹鶴氏の手によるものであり、序文は澤木欣一、跋文が皆川盤水。実に贅沢な句集である。
 扉に「蟇目駿英君」と良多先生の墨書がしてある。この墨書の通り私はまだ俳号を持たない駆け出しの俳句初心者であった。句集は開くとページが開き放しになる上質の紙を使用しているなど現今の句集では及びつかない心配りがしてある。

 序文で澤木欣一は「良多俳句の第一の特徴は正直一徹な把握で、あらゆる対象に柔軟に興味を示し、三尺の童のように驚きを発するところにある。こういう俳句は年輪を重ね、熟して来ると恐るべきものとなる。小利口で小手先を利かせる器用な人とは全く違う、あくまで正攻法の作家である。」と見抜いている、この態度は良多俳句において今も変わらぬスタイルである。

透徹した「即物具象」の世界を覗いてゆこう。

黴の花そのまま枯るる恐山

 

 句意は「恐山の黴の花は形をそのまま残して枯れているよ」ということ。
 見たまま、ありのままを一句に仕立てたものであるが、この句の良さは「そのまま」の言葉を得たことにある。もし句が

黴の花枯れてゐるなり恐山

であったとしてその違いは何か。後者も見たまま、ありのままであるがこれでは単なる報告に終ってしまう。
 死者の声を「そのまま」この世に伝えてくれる「いたこ」の居る恐山であるからこそ「そのまま枯るる」の言葉が生きてくるのである。
 死者のいるあの世でも今頃は黴の花が枯れかかっているのではないかと思わせる力がある。
 黴と黴の花の違いは微妙であるが、黴の花のほうが胞子を突き出したりして派手な様子をしていると思えばよい。


以下順次鑑賞予定 

黴の花そのまま枯るる恐山
 浦佐魚簗三句
越後人菓子食ふごとく鮎食へり
簗番の杭を削れるなたの音
白桔梗佛像の肩楔継ぎ
玉子酒妻子見守る中に飲む
雲巖寺雪解雫の音こもる
一瓣は日に立ち菖蒲ほぐれゐる
蝮裂く十一月の山水に
下総や胸の高さに鴨の水
秋の鯉一匹は病み離れゐる
鷽替や鷽賣切れの旗上がる
講の人どつと笑へり麦の秋
山椒魚孵る月山九合目
盂蘭盆や岩のくぼみの水たまり
故郷の長兄急逝す
朝寒のとむらひの觸れ太鼓かな
御柱梃子衆を撥ね跳ばしたり