「通巻49号」タグアーカイブ

桜貝軍艦島が沖に見ゆ

蟇目良雨講評
東京ふうが 平成29年春季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報384回〜386回より選

桜貝軍艦島が沖に見ゆ  井上芳子

桜貝は穏やかな波の寄せる海浜を生息場所にしている。したがって桜貝の採れる海岸の様子は自ずから想像できる。掲句は穏やかな波の寄せては返す砂浜の対岸に突然軍艦島が見えたと驚いているのだ。長崎県の軍艦島を思い出すが作者によれば南洋の光景らしい。南洋に出兵した父の戦友を弔う慰霊の旅に参加した作者ならではの視点かもしれない。


船に揺られ来て絵踏の地へ一歩

蟇目良雨講評
東京ふうが 平成29年春季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報384回〜386回より選

船に揺られ来て絵踏の地へ一歩  深川知子

絵踏の厳しく行われてきた時代にあって、島なら役人の追及も難しかろうと多くの隠れキリシタンが島に住みついた。荒波に揺られて、絵踏の行われた島に上陸する第一歩はさぞ緊張したであろう。このような光景を余すところなく掲句は描き切った。


茂吉忌も二二六も雪の中

蟇目良雨講評
東京ふうが 平成29年春季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報384回〜386回より選

茂吉忌も二二六も雪の中 荒木静雄

斉藤茂吉の忌日は2月25日。掲句を読みかえれば〈 225も226も雪の中 〉となる。2月25日も2月26日も雪の中でしたという句になるのだが、思えば、歴史上の出来事は私たちの頭の中に寸分の隙も無く並んでいる。1936年の二二六事件も1953年の茂吉の死も事実は20年ほどの違いがあるにせよ記憶の中には一日違いのように背中合わせに思えてくるのである。そんなことを思い出させてくれる句である。