「講評」タグアーカイブ

女子会も共謀罪か秋の暮

蟇目良雨講評
東京ふうが 平成29年秋季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報390回〜392回より選

女子会も共謀罪か秋の暮  大多喜まさみ

現代の政治を軽妙に描いているが、いつの時代も初めは軽いことが気が付いてみれば大変なことになってきた。女性が何人か集まって「女子会」で世間話に花を咲かせている。が見方によっては出来たばかりの共謀罪の対象にならないか心配しているのだ。


鳴砂山の砂の声きく夜寒かな

蟇目良雨講評
東京ふうが 平成29年秋季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報390回〜392回より選

鳴砂山の砂の声きく夜寒かな  花里洋子

鳴砂山(中国では鳴沙山)は敦煌にある。砂山の天辺が風に吹かれて鳴くことから名付けられた。敦煌を訪れたここに宿泊したことで得られた句。古人が多く西域の防衛に駆り出されて此の辺りに来て故郷を偲んで泣いた故事を作者は思いだしているのだろう。


黙契として朝顔の蜜を吸ふ

蟇目良雨講評
東京ふうが 平成29年夏季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報390回〜392回より選

黙契として朝顔の蜜を吸ふ  蟇目良雨

黙契はおどろしい言葉だが、幼子が二人だけの秘密として朝顔の蜜を吸っている光景が思い浮かぶ。「二人だけの秘密よ・・・」「また、明日もね」といったところか。


たまきはるいのちひと日や花さぼてん

蟇目良雨講評
東京ふうが 平成29年夏季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報387回〜389回より選

たまきはるいのちひと日や花さぼてん  松谷富彦

咲き誇る花の命が一日のみの仙人掌の花であることよという句意。月下美人に代表される仙人掌の花の儚さを詠った。


行基葺までは届かず夏の蝶

蟇目良雨講評
東京ふうが 平成29年夏季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報387回〜389回より選

行基葺までは届かず夏の蝶  深川知子

夏蝶の行方を眺めていたら行基の葺いた瓦屋根までは届かずに飛び去って行ったと言っている。ここで行基葺とは行基が指導して葺かせた屋根瓦のこと。元興寺のそれが有名。夏蝶の高くは飛ばないことを具象化した。


浮城を緑雨すぎゆく曾良忌かな

蟇目良雨講評
東京ふうが 平成29年夏季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報387回〜389回より選

浮城を緑雨すぎゆく曾良忌かな  乾佐知子

曾良の忌日は宝永7年5月22日(1710年6月18日)頃とされている。曾良研究者の作者にとって曾良は故郷の偉人。浮城と言われる高島城の上をいま、緑雨が過ぎてゆく。曾良の里帰りのように感じた作者。


桜貝軍艦島が沖に見ゆ

蟇目良雨講評
東京ふうが 平成29年春季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報384回〜386回より選

桜貝軍艦島が沖に見ゆ  井上芳子

桜貝は穏やかな波の寄せる海浜を生息場所にしている。したがって桜貝の採れる海岸の様子は自ずから想像できる。掲句は穏やかな波の寄せては返す砂浜の対岸に突然軍艦島が見えたと驚いているのだ。長崎県の軍艦島を思い出すが作者によれば南洋の光景らしい。南洋に出兵した父の戦友を弔う慰霊の旅に参加した作者ならではの視点かもしれない。


船に揺られ来て絵踏の地へ一歩

蟇目良雨講評
東京ふうが 平成29年春季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報384回〜386回より選

船に揺られ来て絵踏の地へ一歩  深川知子

絵踏の厳しく行われてきた時代にあって、島なら役人の追及も難しかろうと多くの隠れキリシタンが島に住みついた。荒波に揺られて、絵踏の行われた島に上陸する第一歩はさぞ緊張したであろう。このような光景を余すところなく掲句は描き切った。


茂吉忌も二二六も雪の中

蟇目良雨講評
東京ふうが 平成29年春季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報384回〜386回より選

茂吉忌も二二六も雪の中 荒木静雄

斉藤茂吉の忌日は2月25日。掲句を読みかえれば〈 225も226も雪の中 〉となる。2月25日も2月26日も雪の中でしたという句になるのだが、思えば、歴史上の出来事は私たちの頭の中に寸分の隙も無く並んでいる。1936年の二二六事件も1953年の茂吉の死も事実は20年ほどの違いがあるにせよ記憶の中には一日違いのように背中合わせに思えてくるのである。そんなことを思い出させてくれる句である。


冬菜に塩ふればしきりに母のこと

蟇目良雨講評
東京ふうが 平成28年冬季・新年号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報378回〜380回より選

冬菜に塩ふればしきりに母のこと  綾子

私たちの年代になると母の姿とはいつも割烹着を着て何かをしているのであった。揚句も冬菜に塩を振る母の姿を思い出している。この冬菜は白菜であるかも知れない。ぱらぱらと塩を振って白菜から余計な水分を抜いている母がいる。そして同じことを作者もやっている。塩を振るひと手間が料理を美味しくさせてくれる。母の愛情が詰まるのである。