東京ふうが73号(令和5年春季号)

歳時記のご先祖様 7

本郷民男

─ 『東京夢華録とうけいむかろく』上 ─

〇中国のルネサンス宋

中国史には、訪問したくなるような国、都が出てきます。石田幹之助『長安の春』は、漢詩を駆使して華やかな大唐の都を描きました。落花を踏んで酒家に入れば、胡姫がワインを注いでくれました。けれども、長安は城壁に囲まれていて、門限が来れば城門を閉ざすので、遅くまで飲んでいられません。陳舜臣編著『中国のルネサンス』は、より魅力的な宋と首都の汴京べんけい(今の開封カイフェン)を描いています。  宋(960~1279)は、武を捨てた文化国家です。1126年にいったん滅ぼされ、1127年にもっと南に亡命政権を建国しました。前者を北宋、後者を南宋として区別します。中国には五都制など、複数の都を置いた国が珍しくありません。北宋は、東京開封府(汴京)・西京河南府(洛陽)・北京大名府などを置きました。『東京夢華録』は、汴京の名所記・繁盛記・歳時記を包含する本で、歳時記の資格があります。

〇風流天子・徽宗きそう

北宋文化の絶頂と亡国が、八代皇帝徽宗(在位1100~1125)に帰します。宮殿や道観(道教寺院)に巨費を投じ、画院や芸術家を保護・育成しました。徽宗自身も優れた画家・書家・詩人でした。大観元年(1107)銘で徽宗筆の絹本著色桃鳩図(個人蔵)が国宝になっています。また鷹図などいくつかの徽宗画の模本が残っています。徽宗コレクションから『宣和画譜』が編纂され、室町幕府の東山御物目録に多数の徽宗筆の絵画が載っているなど、文献の面でも大きな存在です。けれども、政治家としてはまことに無能で、金軍への敗戦の責任を取って息子へ譲位したあと、息子と共に捕虜となりました。失明し病に罹り、遺体は兵の掘った穴に捨てられたと伝えます。


(つづきは本誌をご覧ください。)