東京ふうが69号(令和4年春季号)

素十俳句鑑賞 100句 (8)

蟇目良雨

(51)
二タ家族うち連れ戻る墓参かな
大正14年9月 虚

 俳句は省略の文芸だから、二タ家族と書けば、その裏には「去年は一家族」だったのにという意味が込められている。ここには去年の墓参は一家族だけだったのに今年は二家族になって墓参をしたことを不思議に思っている素十がいる。
家族が増えることは同胞に新しい家族が出来たことだから弟妹の誰かが結婚をして新家族が出来たのだろう。素十が千葉富士子と結婚したのは昭和6年10月だから、素十より五歳から十一歳若い弟妹の誰かが結婚して新家族を構えたと思われる。因みにこの時次男は二十七歳、三男は二十五歳、長女が二十三歳、二女は二十一歳であった。素十の誕生五年後から規則正しく二年置きに弟妹が生まれた事実も高野家の複雑な一面になっている。

(52)
迎火を女ばかりに焚きにけり
大正14年10月 虚

 迎え火を焚く時は一家総出が普通の光景だろう。そして時代が経って一人減り、二人減りしてやがて新しい家族も増えてまた賑やかになる。そうした光景を私たちは繰り返してきた。ただ、時代の勢いには逆らい難い。かつて日本が軍国主義であった時代は「産めよ増やせよ」であり一家族は大人数のことが当たり前であったが、現在は核家族、小家族主義で一家に五人んもいればにぎやかである。掲句は女ばかりになった家の迎火を詠っている。大正14年の素十の周りに寡婦の家は見当たらないので嘱目の句だと思う。「女ばかり」で焚く迎火なので先を危ぶんでいる素十の心配ごころが現れていると鑑賞してみた。

(53)
揚げ舟に高張立てし踊かな
大正14年10月 虚

小さな漁村の盆踊り風景だろうか、広い渚に盆踊り会場が設営されるのだが高張提燈を固定するものが無いので漁休みで岸に揚げてあった船に高張提燈を縛りつけたところを詠んだ。大正の末期であるが、海に面した漁港は岸壁が整備されていただろうから、霞ケ浦に面した漁港などが想像できる。小舟で漁をする漁村が思い浮かぶからである。


(つづきは本誌をご覧ください。)