東京ふうが74号(令和5年夏季号)

韓国俳句話あれこれ 19

本郷民男

▲ 金剛句歌詩集

 韓半島で最高の名勝が、今は北朝鮮となっている金剛山です。そこを大いに売り込んでさらなる観光地にしようと、1927年に、京城の亀屋商店が、『金剛句歌詩集』を発行しました。亀屋商店は1868年に小倉で生まれた進辰馬が、1896年に西洋雑貨の店として設立しました。豪壮な西洋館の本店や、平壌の支店などを持ち、半島第一の雑貨商と言われました。
 亀屋商店では金剛飴・金剛饅頭・金剛羊羹を売っていました。また金剛山へ行く鉄道の工事中で、進辰馬は鉄道にも出資していたと思われます。1926年には、松本武正・加藤松林人共著の『金剛山探勝案内』が、亀屋商店から発行されています。進辰馬は半島に骨を埋めるつもりで、金剛山の開発や、京城での事業に熱心だったようです。

▲ 成田碩内などのこと

 『金剛句歌詩集』の編者は、成田碩内(1864~1930・号が魯石)です。碩内は大分県鶴崎に生まれ、1869年に大分県三重村(現豊後大野市)の成田家の養子となりました。大分で教員をしながら漢詩を学び、退職して漢詩人・書家となりました。韓半島へ移住して20年暮らして没しました。
本文が273頁、目次や付録が別頁なので、合計で312頁ある本です。金剛山は内金剛、外金剛、海金剛に分けられ、それぞれに名所があるので、名所毎に区分されています。そうして、その名所内の作品を、「読者の目に入り易き俳句より、和歌、漢詩を次ぎ次ぎに排列した」という順序になっています。数えていませんが、漢詩が一番多いようです。そこで、漢詩人の成田碩内が頼まれたのでしょう。1925年に同じ編者と発行所で、『金剛小詩』という本も出ました。なお、作品が複数の時、句や詩でも「首」とあります。


(つづきは本誌をご覧ください。)