東京ふうが74号(令和5年夏季号)

編集人が語る「東京ふうが」74号 「俳句四季」から「東京ふうが」が30周年を迎えたので記事を書いてくれと依頼があった。そうか、もう30周年を迎えたのかと感無量である。

 私は昭和57年に高木良多先生に誘われて俳句を始めた。その2年後に良多先生と「お茶の水句会」を立ち上げ、野田晶子(しょうし)角田太一など東京新聞OBも加わり会が充実してきた。良多先生は盤水、欣一先生に追い付こうとよく文章を書いた。これは句会報には載せられない分量なので、受け皿として季刊で「東京ふうが」を刊行するに至ったのである。

 私は電子工学の出身なので若い頃はパソコンを使いこなしていたが、昭和47年に電機会社を辞めてからパソコンの世界は捨て、それから10年余り経て俳句の世界に入り句会報作成や句の記録に必要だと気づいてパソコンを再び使い直したのであった。  10年間のブランクは大きくワープロなら即座に文章が書けるのに、パソコンではワードを立ち上げてから文字入力をするまでに平仮名・片仮名入力とローマ字入力の切替えの仕組みが良く理解できずに時間の無駄を何度したか分からない。

 始めに買ったワープロの記憶媒体はカセット式の磁気テープで、それがフロッピーディスクに代り幾分か便利になり、ワ―プロにネット機能が付いて外部に電話線を使用してデータが送れるようになった時点でワープロは製造中止になってその時代を終えた。手書きの文章がワープロで整然として文字列で現われて自己満足していた。

 さて、パソコンを再開してから5年ごとに買い替えて来たので、何台の機械を使い捨てて来たか分からない。慣れてきた頃に機械に故障が生じたり、使用しているソフトが保証期限を過ぎてウィルスにかかる危険が出て来ると理由は様々だが、使用者としては不自由極まりない。更にインターネットに繫いで利便性を求めると、そこでもこまごまとして制約を受ける。「えーもー、止めちゃおう」と思う気持ちは事実あるのだが、俳句を始めて、それなりに責任が出て来ると「俳句のために全て我慢しろ」と自分に言い聞かせている。

 こんな悪戦苦闘の日々が、私を若々しく見せている根源なのだと今では思うのである。9月25日で81歳になる。
蟇目良雨

 

目次


名句逍遙 <52>  蟇目良雨
  皆川盤水秀句鑑賞  
  高木良多秀句鑑賞  

作品7句と自句自解ちょっと立読み  

その濱ゆふ   嵐雪・朝叟  

素十俳句鑑賞・100句  (13)ちょっと立読み 蟇目良雨

13 歳時記のご先祖様 ⑧ちょっと立読み 本郷民男

16 コラム 「はいかい漫遊漫歩」ちょっと立読み (『春耕』より) 松谷富彦
  186 歌舞伎役者と俳句(上)
187 歌舞伎役者の俳句(下)
188 原爆に果つ身なりしを吊忍   大久保橙青
189 宮沢賢治の俳句
190 イトーロジョーホコーハーモニカ…
191 敵性語って知ってますか?
 

22 私の愛唱句 8  

25 随筆・韓国俳話あれこれ 19 ちょっと立読み 本郷民男
  金剛句歌詩集・成田碩内などのこと ほか  

28 滑稽の源流小考 本郷民男
  武蔵の國・旧境村の三俳人(欣一・綾子・秋を)  

34 墨痕三滴(俳句選評) 蟇目良雨

37 あとがき

38 句会案内

表3 東京ふうが歳時記 <53> 編集部選

(つづきは本誌をご覧ください。)