東京ふうが74号(令和5年夏季号)

歳時記のご先祖様 8

本郷民男

─ 『東京夢華録とうけいむかろく』上 ─

〇北宋の元日は、賭けを楽しんだ

ここから歳時記になります。巻六が、正月から始まります。正月の一日は「年節」なので、三日の間関撲を許しました。町では、食べ物・道具・果物・炭などを、関撲で取り扱いました。関撲は聞きなれない言葉ですが、賭博で品物を売買しました。胴元はそうした品物を並べ、金を賭けさしました。皿の上に片面を赤く塗った頭銭を投げ入れ、表か裏か賭けさせます。頭銭の枚数や回数で、賭が変ります。当たれば品物を貰えるばかりか、賞金まで貰えました。外れれば、品物を貰えないし、金も失います。正月に店が閉まるどころか、臨時のカジノ?が数多出現しました。そんなの季語に無いとは言わせません。
 賭戯とぎ てきせん擲銭 てきし擲柶(改造社『俳諧歳時記』)
 季語解説  元日より十五日まで、臺灣にては清国時代に、公然と賭博を許され、現在は取締嚴重なれども、風習を改むること難く、その種類も百餘種に及び、殊に擲銭・擲柶は小兒も行ふ賭博なり。
 例 句  賭戯するや蠻人にまじる内地人 雨青 (懸葵)

〇春牛で春を迎える

立春の前の日に春牛を宮中に入れ、鞭で打って春を迎えます。旧暦で立春は元日の前後で、正月の行事です。『礼記』の「月令」に、十二月として土牛を作り、寒気を送るとあります。これは五行説によると推測されます。十二月はイノシシ、一月はネズミ、二月はウシの月です。そこで早めに二月の牛を登場させて、猪や鼠という寒さを追い払います。五行説では春が木、冬は水です。そうして相克といって、五つの要素の勝と負けが決まっています。冬は水なので凍って寒いです。水は土の堤防に負けます。土で牛を作れば、水の寒さに勝つということです。だから春牛は生きた牛でなくて、泥人形の牛です。この春牛は、延々と清朝末期まで続きました。近世の中国歳時記の注で春は耕作の時期だから春牛は耕作と関連すると書く人がいますが、五行説を知らない珍説と思います。


(つづきは本誌をご覧ください。)