東京ふうが75号(令和5年秋季号)

韓国俳句話あれこれ 20

本郷民男

▲ 金剛句歌詩集の内金剛

1927年の『金剛句歌詩集』の続編として、その「第二編 内金剛」を読むことにしましょう。まだ内金剛へ鉄道で行くことができず、内金剛へ行くのは困難を究めました。内金剛ネグムガンの玄関口に名刹の長安寺チャンアンサがあったので、そこの地名まで長安寺と俗称されていました。
   〇 内金剛    流東 有賀保治
仰ぎ見る内金剛や閑古鳥
   〇 内金剛    碓川 井艸角太郎
登仙や内金剛は崖の下
   〇 墨坡嶺モクパリョン    梅下メハ 崔永年チェヨンニョン
紅泥滑滑樹濃濃 路入前山萃幾重
萬嶽千峯終日雨 八輪鋌蜿走如蛇
  あかき泥の滑滑ぬらぬらし、きぎ濃濃うっそう
  みちは前山に入り、幾重いくえにもあつむ。
  萬嶽・千峯、終日ひねもす雨なり。
  八輪の鋌蜿くねくねと、走ること蛇の如し。
 名前の上にあるのが号です。崔永年(1859~1935)は、『朝鮮文藝』主筆を経て、『国民新報』の主筆から社長に至った人です。屈指の儒者で、漢詩も日本人の遠く及ばない水準でしょう。この詩には自注が付き、自動車二台を連ねたので八輪と呼びました。

▲ 内金剛に向かう

   〇 断髪嶺タンパルリョン    齋洞 山本隆造
別れ路の断髪嶺や秋寒し
   〇 百川洞ペクチョンドン    魯石 成田碩
宙川匯處一泓淸  滾滾西流珮玉鳴
千里朝宗江漢似  終南山下遶京城
  そらと川のあつむところ、一つにひろく淸みけり。
  滾滾こんこんと西に流れ、珮玉こしにおびたたまが鳴る。
  千里の朝宗みずをあつむること、江漢ようすこうに似たり。
  終南山しゅうなんざんの下、京城をめぐる。
 韓半島中部の東海岸に太白山脈が聳え、海抜1638mの金剛山は、二番目の高峰です。そして、太白テベク山脈の水が集まって漢江ハンガンになり、西に流れてソウルを経て黄海ファンヘに注ぎます。海抜824mの断髪嶺は、ソウル等から内金剛へ至るのに、越えなければならない難所です。
 百川洞は金剛山の水が集まり、漢江北部の水源になっている所です。漢詩の作者は、『金剛句歌詩集』の編者です。作者「成田碩内」となっているので、前号にそう書きました。ところが、漢詩の作者としては、みな成田碩となっています。百川洞で水が集まる所から始まります。「江漢」は中国の大河・揚子江と漢江のことで、韓国の漢江も広く水を集めてそれらに似ているとしています。終南山は長安の南に聳える海抜2604mの山です。ここではソウル中心部のすぐ南の海抜265mの南山を指します。漢江は南山の南を経て、黄海に入ります。


(つづきは本誌をご覧ください。)