東京ふうが76号(令和5年冬季号)

歳時記のご先祖様 10

本郷民男

─ 『歳時廣記』 ─

〇 中華歳時記の集大成・『歳時廣記』

中国文化は唐・宋まで、伝統が保たれました。『歳時廣記』は南宋時代に編集され、集大成というべき歳時記です。『歳時廣記』は陳元靚ちんげんせい撰です。陳元靚の生没年や役職などは、不詳です。南宋の理宋(在位1224~64)頃の福建省崇安の人とされています。他にも『事林廣記』『博聞録』『服飾譜』『器用譜』等を著わしました。陳廣寒の子で紹聖四年(1097)に進士に合格した陳遜の後裔という説があり、学者や官僚を輩出した家門の出でしょう。『事林廣記』は百科事典のような本であるし、『歳時廣記』も歳時記百科というべき本です。ただし、日本での『歳時廣記』の研究は殆どなされず、日本では出版されなかったようです。

守屋美都雄氏が、『歳時廣記』に言及したことがあります。唐が滅んで宋が統一するまでを五代と言います。五代の南唐の徐諧にも、同名の『歳時廣記』があるというのです(同氏『古歳時記の研究』の「徐諧の歳時廣記について」)。徐諧(924~974)は、陳元靚よりも二百五十年位前の人です。陳元靚が徐諧の本を参照したことはありそうですが、別個に編纂されたのでしょう。

『歳時廣記』の成立年代は、南宋の紹定年間(1228~1233)です。陳元靚自身の序はなく、朱子学の祖・朱熹の子の朱鑑が序を書いています。現行の『歳時廣記』は、明代の四庫文庫本が基本で、42巻本となっています。けれども番号のついているのは、40巻までです。長い首巻と短い末巻で前後を挟んでいます。

〇最初に圖説

 『歳時廣記』の首巻は圖説で、円グラフや円の外側に星を図示した天体運航図などの図が多数あります。最初の図では、春を木、夏を火などとしていて、五行説に依っています。ところが、春・夏・秋など、もう少し詳しく説いた所では、『梁元帝纂要』から引いています。この書は引用された箇所だけ残っているようで、『歳時廣記』の厳密で詳細な引用は、貴重だと思われます。

気候循環早見図といった図の説明で、『尚書正義』を引いて、1年は365日と四分の一日とし、12カ月に分けるから、ひと月が30日と16分の7日と書いています。けっこう正確でしょう。ローマ時代から使われたユリウス暦でも、1年を365、25日としているので、天文学は意外と良い数字を使っていたし、知らないと歳時記を書けないということです。

八卦を伏犠が造り、三日要したから二十四節気であるとか、七十二候は周公が元といった、気になる文献を引いています。


(つづきは本誌をご覧ください。)