東京ふうが80号(令和7年冬季・新年号)

「素十名句鑑賞」 18

蟇目良雨

(151)
鳥威し皆ひるがへり虚子が行く   昭和28年

 この年9月、新潟大学を去り、奈良医科大学の法医学教授に赴任した。前年に新制大学に昇格したばかりの大学で、助教授もおらず助手が一人の法医学教室であった。素十としては、学問よりしばらくの食扶持を稼げればよかったのである。
 そんな素十を案じて、鎌倉からわざわざ虚子が自宅の奈良県高取にやって来た。稲の稔る頃であった。虚子の行く先々で、鳥威しが翻り虚子を歓迎しているようであると、素十は単純に喜んでいるのである。

(152)
狐火や村に一人の青々派   昭和28年

 素十が高取に転居して、しばらくして慣れてくると周りの事情が理解できるようになってきた。生駒郡富雄に右城暮石という俳人が活躍しているのに気が付く。暮石は松瀬青々の弟子であり、青々は、かつてホトトギス本社に半年ほど勤めていたことがある。大阪に戻った青々は、やがて「倦鳥」に拠って大阪俳壇に力を振るった。虚子の来訪時に青々を巡り、話題に出たのであろう、青々は昭和12年に68歳で亡くなっていたが、その後継者が村に一人いたことに奇縁を感じて出来た作品。狐火に譬えたのは、ホトトギス俳句と違う路線を物珍しく思っていた結果が影響していると思った。

(153)
割れて二つ割れて二つに水の月   昭和30年

 水面が揺れて、写っている月影が二つに割れた様子を詠う。割れて二つを重ねて言うことで、波が連続して割れた様子がはっきりと分かる。これぞ写生の極致ではなかろうか。昭和30年作「桐の葉」所収とあるから、奈良に転居してからの奈良の景色と思われる。猿沢の池に写る月などが連想されるが、波が繰り返しやって来ることから、遊船に乗った時の光景が相応しいと思うがどうだろうか。


(つづきは本誌をご覧ください。)