歳時記のご先祖様 6
本郷民男
─ 『荊楚歳時記』下 ─
〇夏至には粽を食べる
『荊楚歳時記』は散逸したのを復元されていますが、五月・六月あたりはだいぶ欠けています。また五月を「悪月」としています。『礼記』では五月には日の長いことが極まり、陰陽が争うなどとしています。今の五月はむしろ爽やかな時期ですが、旧暦だと梅雨に入る時期です。そして、夏至も五月です。蒸し暑く食中毒も多い、そんな時期だから粽を食べて乗り切れということでしょう。諸本に、「夏至節の日に粽を食う」とあるのは共通しますが、本来どんな説明だったのか良くわかりません。
『風俗通』では、獬豸が楝を食べるが、蚊龍は楝を恐れるとし、人々は竹の筒に粽を入れ、楝を刺してから川に投げると書いています。屈原が夏至に川に身を投じたとして、粽を投げて供養します。ところが、蛟龍が粽を食べてしまうので、新しい竹を切った筒に入れ、蛟龍の嫌う楝を刺すというのです。粽が厳重に包んであるのは、蛟龍に食われないためです。
獬豸を知らない人も多いと思います。想像上の猛獣で、ライオンに角が生えたような姿で表現されます。善悪を判定する能力があり、虚偽を主張する悪人を角で突き殺すとされます。そこで、裁判官の冠に獬豸を表し、裁判所の入り口に、一対の獬豸像が守護神として置かれました。韓国でも獬豸をヘッテと呼んで守護神とします。ソウルの景福宮の正門である光化門の両側を獬豸像が守ります。私が住んでいた西洋長屋の入り口にも、対の獬豸像が置かれていました。中国・韓国で狛犬と間違えませんように。
(つづきは本誌をご覧ください。)