高木良多講評
東京ふうが 平成22年夏季号「墨痕三滴」より
筒鳥や崖に張りつく御師の家 荻原 芳堂
御師の家とは山岳宗教の祈祷師の家のことであろう。険しい崖に張りついているような住居のあたりに筒鳥が啼いている。筒鳥はぽんぽん鳥ともいう。実景の活写。
御師の家とは山岳宗教の祈祷師の家のことであろう。険しい崖に張りついているような住居のあたりに筒鳥が啼いている。筒鳥はぽんぽん鳥ともいう。実景の活写。
昭和五十七年十月に高木良多第一句集『雪解雫』が刊行された。発行所「風発行所」、発行人「細身綾子」。印刷所「鋭文社」。和紙を貼った白一色の箱には只「雪解雫」と題簽が墨書されているだけの簡単なデザイン。本体は鬱金色の布地を貼ったハードカバー本。
当時、私はまさに俳句を始めたばかりであり、句集の良し悪しなど判るはずもなかった。四十歳になったばかりの割烹「ちよだ」という料理屋の経営者でゴルフに夢中になっていた頃である。
今、四半世紀を過ぎて改めて『雪解雫』を手に取り驚きを感じた。題簽は書家の齋藤丹鶴氏の手によるものであり、序文は澤木欣一、跋文が皆川盤水。実に贅沢な句集である。
扉に「蟇目駿英君」と良多先生の墨書がしてある。この墨書の通り私はまだ俳号を持たない駆け出しの俳句初心者であった。句集は開くとページが開き放しになる上質の紙を使用しているなど現今の句集では及びつかない心配りがしてある。
序文で澤木欣一は「良多俳句の第一の特徴は正直一徹な把握で、あらゆる対象に柔軟に興味を示し、三尺の童のように驚きを発するところにある。こういう俳句は年輪を重ね、熟して来ると恐るべきものとなる。小利口で小手先を利かせる器用な人とは全く違う、あくまで正攻法の作家である。」と見抜いている、この態度は良多俳句において今も変わらぬスタイルである。
透徹した「即物具象」の世界を覗いてゆこう。
句意は「恐山の黴の花は形をそのまま残して枯れているよ」ということ。
見たまま、ありのままを一句に仕立てたものであるが、この句の良さは「そのまま」の言葉を得たことにある。もし句が
であったとしてその違いは何か。後者も見たまま、ありのままであるがこれでは単なる報告に終ってしまう。
死者の声を「そのまま」この世に伝えてくれる「いたこ」の居る恐山であるからこそ「そのまま枯るる」の言葉が生きてくるのである。
死者のいるあの世でも今頃は黴の花が枯れかかっているのではないかと思わせる力がある。
黴と黴の花の違いは微妙であるが、黴の花のほうが胞子を突き出したりして派手な様子をしていると思えばよい。
黴の花そのまま枯るる恐山
浦佐魚簗三句
越後人菓子食ふごとく鮎食へり
簗番の杭を削れるなたの音
白桔梗佛像の肩楔継ぎ
玉子酒妻子見守る中に飲む
雲巖寺雪解雫の音こもる
一瓣は日に立ち菖蒲ほぐれゐる
蝮裂く十一月の山水に
下総や胸の高さに鴨の水
秋の鯉一匹は病み離れゐる
鷽替や鷽賣切れの旗上がる
講の人どつと笑へり麦の秋
山椒魚孵る月山九合目
盂蘭盆や岩のくぼみの水たまり
故郷の長兄急逝す
朝寒のとむらひの觸れ太鼓かな
御柱梃子衆を撥ね跳ばしたり
河鹿笛は河鹿の鳴き声を誘うために吹く笛。ヒョロヒョロと哀切な調べがする。掲句は、まだ明るいうちに河鹿笛を吹くために河原に下りたのであろう。橋の下に来てみると木橋の裏側がよく見える。橋の上を通るだけでは見えることのなかった木橋の裏側の構造を見ることになった。そして木組ゆえの構造の複雑さを橋の匠の作り上げた「からくり」のようであると感心して見上げたのである。東照宮の神橋、錦帯橋、大月の猿橋など橋の裏にからくりが見られるが、河鹿笛にふさわしい橋とはどんなところであったのだろう。観察眼の確かな句であると思った。
河鹿の鳴き声を河鹿笛とする誤用がある。注意したい。
単純なことを言っているのだけれど笑わされてしまう句である。亀が空を飛ぶはずはないのだがそう思わせるような錯覚を先ず読者に起こさせる。亀と田亀は全然別物であるのだけれど。水中に住んで蛙や小魚を捕食してしまう昆虫の田亀の生態からまさか空を飛ぶはずが無いと思っていたら、飛び去ってしまったと嘆いているのである。それもわざわざ買ってきた田亀が。水中で暮らし、陸上でも生きてゆけ、空中も自在に飛べるなんて田亀はスーパー昆虫であったことに作者も読者も気が付いた滑稽さは十分共有できる。
中国は杭州の西湖での句。杭州は「越」の国にある。呉王夫差、越王勾践の「臥薪嘗胆」の舞台であり、そこに西施が歴史に華を添えている。西湖は風光明媚であるが、壮大な中国にしては小じんまりとした景色である。西施と西湖は直接関係が無いが、越の生まれの西施を偲んで、西湖の干拓などを手がけた地方長官蘇東坡の詩に因って二つは固く結びついてしまう。
[飮湖上初晴後雨] [湖上に飲めば晴のち雨]
蘇軾(蘇東坡) (著者意訳)
水光瀲灔晴方好 さざ波びかりの水面もいいが
山色空濛雨亦奇 雨に煙れる山もいい
欲把西湖比西子 西湖と西施を較べてみれば
淡粧濃抹總相宜 化粧も素顔もみんな好き
好きになれば痘痕も笑窪というところ。
西施にまつわる伝説に、川沿いの薪屋の看板娘で、副業でもある布晒を川岸でしていると、水中の魚が西施の美しさに驚いて溺れ沈んでしまい「沈魚美女」の名が付けられたとか、「採蓮人」とも言われ、西施を花に喩えると蓮の花になる。
さて作者は米寿の頃中国を旅し、西湖に行ったらいきなり蓮の花(西施)に会ったと喜んでいるのである。西施に会うことが出来た老いらくの恋によって艶々とした作者の顔は益々照り輝いたことであろうと想像できる楽しい一句になった。
上五から次の歌を思い出す。
由良のとをわたる舟人かぢをたえ
行方もしらぬ恋の道かな 曾禰(そね)好忠(よしただ)
由良の門を、紀伊国の由良海峡とする説と、丹後国の由良川の河口とする説があるが、いずれにしても「行方も知らぬ恋路」に胸を焦がす人がいる。
掲句はそれを下敷きにしているのだが、恋に焦がれた若者の船がいそぐ川波に乗って由良の門に着いたのは良いが、さて上陸という段になって夏蓬が邪魔をしているのである。
「いそぐ川波」は青春時代の作者の化身であろうか。
名の木の芽はたとえばしだれ梅のような大切にされている庭木の芽なのであろう。そこへ雨が通りかかったので、ひとつひとつに雨雫がたまっている写生の句、とり合わせの句ではない。「一物仕立ての句」となっている。とり合わせの句とくらべて難しいとされているが、努力すれば名句が生まれる。