「俳句鑑賞」タグアーカイブ

令和3年秋季 佳句短評

東京ふうが 令和3年秋季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報438回〜440回より選

処暑の水裏がへしては鯉の跳ね 小田絵津子

それまで平穏だった池の水面が鯉によって裏返させられた。処暑の気分を鯉も確かめたかったのかしら。
水を裏返すと表現したことにより幾ばくかの面積の水が鯉の下半身によって持ち上げられ裏返されたようにスローモーションで見える。

わが生涯一線画す敗戦忌  荒木静雄

敗戦日を境に人生が変わってしまった人は多いことだろう。特に外地で終戦を迎えた人々は猶更のこと。作者の満州からの引き揚げ記が本号に掲載されている。戦争はしてはいけないと作者は一句に籠める。

起こしてはならぬ将門石叩 島村若子

石叩は虫を求めて地面を気ままに歩き回る。しかも長い尻尾を地面に打ち付けながら。ちょっと石叩さんそこは平将門が眠る地だから将門を起こしてはなりませんよ。将門の祟りは恐ろしいものなのよ。


令和3年夏季 佳句短評

東京ふうが 令和3年夏季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報435回〜437回より選

湯加減を聞く母の声栗の花    乾佐知子

浴室の外にある風呂の焚口から母が湯加減を訊ねている。換気窓を開けて返事をする作者。ふと目をやると栗の花が見える。懐かしい世界。

機嫌よきややの涎や草田男忌   河村綾子

作品に固有名詞として人物が出ている場合、その人物を匂わせてくれる関係性が必要。中村草田男の無心さはまさに赤子のようであるから、嬰児が機嫌よく涎を流している景色は草田男忌に相応しいと思う。

夏の夜やコルトレーンとバーボンと 野村雅子

ジャズを聴きバーボンを楽しむ夏の夜の解放感に溢れる一句。作者の心の若さが作り上げたもの。いつまでも続けて欲しい心の若さ。


令和3年春季 佳句短評

東京ふうが 令和3年春季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報432回〜434回より選

鳥帰る沼は太古の色湛へ  深川知子

水鳥が太古のころから日本に渡ってくる事実に感動したのだろう。力強い一句になった。

青春の彷徨に似て蜷の道  松谷富彦

蜷の道は水底に当てどなく描かれている。その形が作者の青春の彷徨に似ているとしみじみ感じ入っている。

雛僧の箒にからむ春の蝶  小田絵津子

雛僧は小僧のことで「すうそう」「こぞう」「ひなそう」などと読む。小僧が結界を掃除中に箒にからむ春の蝶。のどかな心なごむ光景だ。


令和3年冬季・新年号 佳句短評

東京ふうが 令和3年冬季・新年号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報429回〜432回より選

寒晴や孤独地獄の中に立つ  蟇目良雨

孤独地獄などという言葉は使うまいと思ってきたが、妻の危篤を見てやがて来る孤独な生活を思うと妙に親しい言葉になってきた。寒晴の路地裏に立ち空を見上げていた時の感懐である。

久女忌や松葉に積もる夜の雪  乾佐知子

杉田久女が亡くなって七十五年が経った。久女に思いを馳せる人は一月二十一日が近くなると色々感懐に耽る。松葉の細かい針にまでしんしんと降り積もる雪を見て、寒さの中で孤独死した久女を偲んでいるのである。

漱石忌ささいなことに筋通し  深川知子

江戸っ子の何でも見てやろうという野次馬根性が身に着いた漱石と子規がいたことは日本にとって幸せであった。英文学を学んだといえ根は東洋の美が沁みついていた漱石は何でも禅問答のように落着しないと気が済まない。鏡子夫人以下子供達にも無理難題を吹きかけたらしい。作者も小倉女らしく筋を通さなければ済まない性格。だから人間関係は楽しいのだ。

生涯の友は夫とも老いの春  小田絵津子

この句はある年代に達しないとなかなか理解できないのではないだろうか。離婚や病没による別れなどが待ち受けている現世で夫婦のままで老境を迎えることは実は奇跡に近いことだと思うようになった。月並みのことを言っているようだがそれが尊いと思える年代になったし俳句の読みも深まったと思う。


令和2年秋季 佳句短評

東京ふうが 令和2年秋季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報426回〜429回より選

追憶
妻となる人と別れて火恋し  蟇目良雨

遥か昔のことであるが結婚を約束した今の妻と密会した後の気持ち。妻は現在、風前の灯の命であるが、居るだけで安心する。甘いと言われようがどんどん妻恋の俳句を作るつもりだ。

浴衣着てアラン・ドロンに会ひに行こ  乾佐知子

若々しい作品。浴衣を着て花火を見に行くのかと思ったら、アラン・ドロンに会いに行くと言う。昔の一こまか、或いは映画にでも行ったのかな?

トランプもバカ殿もある案山子かな  大多喜まさみ

2020年を象徴する人物のトランプとバカ殿がいる。今年の漢字に「密」が選ばれたが、人物では作者の言っている米国大統領ドナルド・トランプとコロナで無くなったバカ殿の志村けんの二人だろう。的確な指摘だ。


令和2年夏季 佳句短評

東京ふうが 令和2年夏季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報4回〜421回より選

浴衣着てアラン・ドロンに会ひに行こ  乾佐知子

呉服屋の女将がこんな洒落た句を作るとは捨てたものではない。何時までも心は若くありたいもの。

ハローとなんて言つてみるサングラス  島村若子

サングラスをかけて人格が若返る。すっかりアメリカ人になり切ってサングラスを楽しむ。

夏の夜やコルトレーンとバーボンと  野村雅子

遊びに慣れないとこんな句は出来ない。金管楽器のジャズ曲に合う酒はバーボンしかない。


令和2年春季 佳句短評

東京ふうが 令和2年春季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報419回〜421回より選

歌舞伎座の留守を預かる鼓草  島村若子

この句平常時なら鑑賞に苦労するだろうが、コロナ禍の現在ならすぐわかる。歌舞伎座はコロナ騒ぎで休演しているがその間を道端の鼓草が見守っていますよという鑑賞になる。その時々の世を記録するように詠うことも大切。

湯畑に硫黄の匂ひ冬銀河  堀越

単純明快な句。硫黄の匂いのする湯畑に立ち冬の銀河を仰ぎ見ている光景。温泉の湯けむりも凍てつくような寒さの上に冬銀河が煌々と輝いて見える。

寸にして波と抗ふ蘆の角  小田絵津子

蘆の角を写生し尽くしたと思う。僅か一寸(三センチ)の蘆の角が寄せ来る波に負けじと立ち向かっている様子を見事に描写している。蘆の強さを余す無く描いている

新しき恋の始まる落し角  大多喜まさみ

これは思い切りのいい句だ。鹿が角を落として生まれ変わったようになることは新しい恋の始まりでもあると鹿にエールを送っている。


令和2年冬季・新年号 佳句短評

東京ふうが 令和2年冬季・新年号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報417回〜418回より選

茶筅干す生駒颪に傘広げ  深川知子

茶筅作りの産地の光景。細い竹筒を十センチくらいにカットし一方にこまかい切り込みを入れ外側に折り曲げると唐傘のおちょこの骨組みに似た様子になる。作者はこれを傘広げと見做して一句を楽しんでいる。

湯畑に硫黄の匂ひ冬銀河  堀越

単純明快な句。硫黄の匂いのする湯畑に立ち冬の銀河を仰ぎ見ている光景。温泉の湯けむりも凍てつくような寒さの上に冬銀河が煌々と輝いて見える。

等伯の墨の濃淡雪催  野村雅子

長谷川等伯六曲一双「松林図屏風」を見ての句と思う。消え入りそうな靄籠めの中の松林を墨絵にしたためた屏風の墨の濃淡を見ているうち雪催を思い出したのは、能登の出身の等伯と同じ光景を作者も経験したことがあるせいかも知れない。等伯は子の久蔵を亡くした悲しみの消えぬうちにこれを描いたといわれ、まさに鎮魂の静けさに包まれた絵になっている

寒の星軍艦島の潰え見せ  松坂康夫

厳しい冬の夜の景色だ。寒の星明りのもとに浮き上がる軍艦島の輪郭のどこかにえが見えていることで大自然の下の歴史の移ろい感じられる。


令和元年秋季佳句短評

東京ふうが 令和元年秋季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報414回〜415回より選

踏まれたる邪鬼の声聞く白露かな  深川知子

 四天王像の足下に踏まれている邪鬼像が声を発しているかと思ったらそれは白露のせいなのだろうかと思う作者。空気が凛と張りつめてきて露を結ぶような気候。仏像の発する声を聞くよい機会である。

銀漢や大草原のひづめ跡  堀越

 銀漢の下の大草原の光景。草原は大きくうねっているばかりだが、銀漢の明るさに大地に刻まれた蹄の跡がはっきり見えるのである。

    (友曰く)
これ俺の天空の村初時雨  島村若子

 これが俺の古里の天空にある村だぞと、友人が自慢している図。初時雨も来て、虹も見えるようである。乱暴なような言葉の配置が句に若々しさを齎した。

 


令和元年夏季佳句短評

東京ふうが 令和元年夏季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報410回〜413回より選

はやる鵜に鵜匠よろめく徒歩鵜かな  富彦

 鵜飼は全国の十一ヵ所で行われている。その中で徒歩鵜は笛吹川の石和で行われている、川の中を歩いて鵜飼を行うという珍しいもの。ゴロタ石の川底を歩いてゆくのでよろめく鵜匠もいることだろう。ここでは一人が一羽の鵜を操り、篝火を持つ助手が一人付く。

仲見世といふ花道を荒神輿  絵津子

 仲見世を花道と言うことはないと思うが、荒神輿が渡御する道ということで花道と言っていいのではないか。店先に触れんばかりに練り歩く荒神輿は、歌舞伎役者が観客の顔すれすれに花道を行く姿に似通っている。この句、花道が大変効いている。

ハローとかなんて言つてみるサングラス 若子

 サングラスをかけたら青春を思い出して心がうきうきして「ハロー」と言ってみた光景。「なんて言ってみる」には、恥じらいが込められている。こうした若々しい句もいいものだ。

蛍見の帰りは闇も暗からず  民男

 螢見の本質が描かれている。螢を見に行くときは始めこそ懐中電灯を点けて足もとを照らしてゆくが螢沢に近づくと消さなければならない。闇に眼を馴らして初めて飛び交う螢の火を識別できる。往きの暗さに馴れて初めて螢を楽しむことが出来る。闇に眼が慣れてくると帰りの闇は暗く感じられない。楽しい足取りで帰路に就くのである。