「講評」タグアーカイブ

シドッチや釣瓶落しの牢屋敷

蟇目良雨講評
東京ふうが 平成28年秋季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報378回〜380回より選

シドッチや釣瓶落しの牢屋敷  芳子

いつも類想を避けた句を提示して我々を楽しませてくれる。シドッチは禁教令により茗荷谷のキリシタン屋敷に収監されたイタリア人司祭。新井白石と知り合い影響を与えた。数年間の幽閉の後、地下牢で獄死。作者はその死を悼んでいる。「釣瓶落し」に歴史の流れの速さ、無情さが表現されている。


喘ぎ咲く月下美人の只ならぬ

蟇目良雨講評
東京ふうが 平成28年夏季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報373回〜376回より選

喘ぎ咲く月下美人の只ならぬ  佐知子

草花の名前で感心するのは「ねこじやらし」「かやつリ草」「おしろい花」など実に奥行きのある草の本質に迫ったものがあるが、「月下美人」も加えていいだろう。夜になって人が寝静まるころ咲きだすこの美しい花はまさに月下の美人である。A Queen of the Nightは英名で夜の女王。咲きだすころ花の前に侍っているとこの句の通り喘ぎ喘ぎ香りを吐き出しながら咲き始める。「只ならぬ」は見た人の実感。


刺青の龍は老いけり春一番

蟇目良雨講評
東京ふうが 平成28年春季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報370回〜372回より選

刺青の龍は老いけり春一番  阿部旬

どきっとする句づくり。春一番が吹き着物の袖を捲くったのであろうか、腕に彫られた龍の刺青が見えてしまったのだが主人同様に老いぼれた龍になっていたということ。春一番では出色の句。


能登人はおほかた無口鰤起し

蟇目良雨講評
東京ふうが 平成28年冬季新年号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報368回〜369回より選

能登人はおほかた無口鰤起し  深川知子

よく言われるのは、みちのくの人や日本海側の人は無口だということ。寒いから、風が強いから口を開けるのが面倒であるという理屈である。
津軽、秋田で「ゆさ」「どさ」「け」という短い言葉がある。どこに行くの?が「どさ」。お湯に行きますが「湯さ」。食べなさいが「け」。じつにシンプル。作者は能登に行ってこれに近い言葉の体験をしたのだろう。鰤起しが鳴り渡っていて恐れる作者に対して能登人は何も言葉をかけてくれなかったのだろうか。因みに作者はおしゃべりな小倉人。


始まりも終わりも静か松手入れ

蟇目良雨講評
東京ふうが 平成27年秋季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報365回〜367回より選

始まりも終りも静か松手入れ  松谷富彦

松手入れには凡人の知らない世界があるのだろう。手を付ける前に長考している頭領の姿をよく目にする。人の寿命以上に長生きする松をどのように成長させていくか遠大な構想をもって手入れしている。終始静かで哲学的でもあるのは松に相応しい。


大夏野割って来たりし牧草車

蟇目良雨講評
東京ふうが 平成27年夏季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報362回〜364回より選

大夏野割って来たりし牧草車 乾佐知子

大夏野の中を分けてはっきりとやってくるのは牧草車。牛馬の飼料にする夏草を刈ってそれを運んでくる。草はロールにされて保管される。揚句は大夏野を刈り取りながらロールに仕上げる高級な牧草車かも知れぬ。新しく刈った草の筋がはっきりと見えてくる。


春星をつなぐ鎖のあるごとし

蟇目良雨講評
東京ふうが 平成27年春季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報359回〜361回より選

春星をつなぐ鎖のあるごとし 鈴木大林子

春の夜空は少し濁っている気がする。星座も冬の夜空に見えるすっきり感がなくなる。そして良く見ると互いが連結しているように見える。これを鎖のあるごとしと捉えたのであるが、春の星だから言えることである。


初場所や華やぎてゐるひとところ

蟇目良雨講評
東京ふうが 平成27年冬季・新年号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報355回~358回より選

初場所や華やぎてゐるひとところ 井水貞子

大相撲の一こまに何を切り取るのかは中々難しい。どの場所でも粋筋のお姐さんがいて華やぐところがあるが、さて、初場所は特に華やぐところが著しいと言っている。静かな読み振りが成功した句。


矢継ぎ早夜這星とぶ波の上

蟇目良雨講評
東京ふうが 平成26年秋季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報352回〜354回より選

矢継ぎ早夜這星とぶ波の上 堀越純

流れ星を夜這星と言い換えたことで物語性が出た。「這う」という言葉の持つニュアンスが低い夜空を次々に流れる星とうまく響きあった。海辺でもよく、大きな湖畔の景色としてもいろいろ鑑賞がすすむ。


百合化して蝶となりしや書庫に蠋れ

蟇目良雨講評
東京ふうが 平成26年夏季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報349号〜351号より選

百合化して蝶となりしや書庫に蠋れ 高木良多

季語は百合であるが珍しい使い方。百合の花が蝶に見えたということであるが、書庫の暗がりに活けられた百合が、ふと見た瞬間に蝶のように見えた驚きが一句の眼目。書庫の措辞に作者の生き様がよく出ている。