「高木良多」タグアーカイブ
百合化して蝶となりしや書庫に蠋れ
蟇目良雨講評
東京ふうが 平成26年夏季号「墨痕三滴」より
百合化して蝶となりしや書庫に蠋れ 高木良多
季語は百合であるが珍しい使い方。百合の花が蝶に見えたということであるが、書庫の暗がりに活けられた百合が、ふと見た瞬間に蝶のように見えた驚きが一句の眼目。書庫の措辞に作者の生き様がよく出ている。
第323回:芦の角・蜆・流し雛
第323回 2012年3月12日(月) 於:文京区民センター
兼題:芦の角・蜆・流し雛、 席題:沈丁花・若布
蘆の角古事記の神の山見ゆる 高木 良多
雛流し桟橋に巫女動かざる 堀越 純
あさぼらけ湖に水尾洩く蜆舟 太田 幸子
第316回:流星・稲の花・水引の花
第316回 2011年8月1日(月) 於:文京区民センター
兼題:流星・稲の花・水引の花、 席題:秋暑し・葛の花
義経の落ち行きし海流れ星 高木 良多
流星の尾を曳きてゐる竹生島 積田 太郎
最澄の山黒々と星流る 深川 知子
第308回:熊・けんちん汁・冬帽子
第308回 2010年12月13日(月) 於:文京区民センター
兼題:熊・けんちん汁・冬帽子、 席題:木菟・空っ風
けんちんや雲版を賞め席に就く 高木 良多
門前の花屋を覗く冬帽子 荻原 芳堂
牛売ってけんちん汁を囲みけり 乾 佐知子
第305回:胡麻の花・風の盆・秋意
第305回 2010年9月13日(月) 於:文京区民センター
兼題:胡麻の花・風の盆・秋意、 席題:赤とんぼ・おしろいの花
おしろいが咲き裏町の灯り初む 高木 良多
てのひらを月に返して風の盆 蟇目 良雨
終バスの遠退く尾燈虫の闇 荻原 芳堂
虚無僧の尺八湿る秋意かな 鈴木大林子
吹き晴れし沼のほとりや赤蜻蛉 乾 佐知子
風の盆果て水音の戻りけり 花里 洋子
痛み止めゆるやかに効き秋意かな 井上 芳子
胡麻の花乾き切つたる大地かな 長沼 史子
茶柱のゆるがぬ今朝の秋意かな 石川 英子
帯決めて連を繰り出す風の盆 元石 一雄
東大寺まで奈良坂を油照 積田 太郎
第304回:処暑 ・ 病葉 ・ 晩夏
第304回 2010年8月21日(土) 於:文京区民センター
兼題:処暑 ・ 病葉 ・ 晩夏
青竹の節の白さよ処暑を過ぎ 高木 良多
似顔絵を売るアラブ人晩夏光 鈴木大林子
夕映えの一筋伸びる処暑の山 元石 一雄
東京ふうが 22号(平成22年 夏季号)
編集人が語る東京ふうが22号
俳句というささやかな文芸に携わっていると、その人物から想像できない作品が生み出されることに驚くことがある。例えば、久保田万太郎のテカテカした金貸しのような風貌から人生の哀しみを詠う句が迸り出るのは実に不思議である。
作品鑑賞もよいが人物鑑賞もおもしろい。そんな面から「東京ふうが」を鑑賞していただきたい。
目 次
- 1 名句逍遥
- 欣一俳句の鑑賞(1) 高木良多
- 良多俳句の鑑賞(1) 蟇目良雨
- 3 作品七句と自句自解「夏季詠」 ►ちょっと立読み
- 6 墨痕三滴(俳句選評) 添削:高木良多
- (お茶の水句会報302~303号より選んだもの) ►ちょっと立読み
- 7『水郷の風土』余聞 高木良多
- その11 ー 印旛沼の龍神 [ 中 ] ►ちょっと立読み
- その12 ー 印旛沼の龍神 [ 下 ]
- 11 ニーハオ中国俳句の旅 <8> 蟇目良雨
- 「晩秋成都」 ►ちょっと立読み
成都/杜甫草堂/都江堰/武侯祠/三蘇祠/楽山/川劇/「陳麻婆豆腐店」/
付録・上海蟹を食べる - 23 東京大空襲体験記 銃後から戰後へ <14> 鈴木大林子
- 本官への道 ►ちょっと立読み
- 24 曾良を尋ねて<5> 乾 佐知子
- 曾良 ー 伊勢への旅立ち ►ちょっと立読み
松平定政と大智院 /深泉良成禅師と大智院 /伊勢永島藩主 松平康尚 - 27 ミニエッセー「旅と俳句」
- チベットの風になって<2>(連載4回) 石川英子
- [ 5 ] ポタラ宮 [ 6 ] ガンデン・ゴンパ [ 7 ]ジョカン寺にまつわる伝説
►ちょっと立読み
- 31 会友招待席(会友句鑑賞)
- 「鑑賞と添削」 高木良多
- 33 後記 高木良多
- 33 東京ふうが歳時記 [ 夏 ] 荻原芳堂選
- 34 句会案内
筒鳥や崖に張りつく御師の家
高木良多講評
東京ふうが 平成22年夏季号「墨痕三滴」より
筒鳥や崖に張りつく御師の家 荻原 芳堂
御師の家とは山岳宗教の祈祷師の家のことであろう。険しい崖に張りついているような住居のあたりに筒鳥が啼いている。筒鳥はぽんぽん鳥ともいう。実景の活写。
句集逍遥—高木良多句集『雪解雫』の清新さ
昭和五十七年十月に高木良多第一句集『雪解雫』が刊行された。発行所「風発行所」、発行人「細身綾子」。印刷所「鋭文社」。和紙を貼った白一色の箱には只「雪解雫」と題簽が墨書されているだけの簡単なデザイン。本体は鬱金色の布地を貼ったハードカバー本。
当時、私はまさに俳句を始めたばかりであり、句集の良し悪しなど判るはずもなかった。四十歳になったばかりの割烹「ちよだ」という料理屋の経営者でゴルフに夢中になっていた頃である。
今、四半世紀を過ぎて改めて『雪解雫』を手に取り驚きを感じた。題簽は書家の齋藤丹鶴氏の手によるものであり、序文は澤木欣一、跋文が皆川盤水。実に贅沢な句集である。
扉に「蟇目駿英君」と良多先生の墨書がしてある。この墨書の通り私はまだ俳号を持たない駆け出しの俳句初心者であった。句集は開くとページが開き放しになる上質の紙を使用しているなど現今の句集では及びつかない心配りがしてある。
序文で澤木欣一は「良多俳句の第一の特徴は正直一徹な把握で、あらゆる対象に柔軟に興味を示し、三尺の童のように驚きを発するところにある。こういう俳句は年輪を重ね、熟して来ると恐るべきものとなる。小利口で小手先を利かせる器用な人とは全く違う、あくまで正攻法の作家である。」と見抜いている、この態度は良多俳句において今も変わらぬスタイルである。
透徹した「即物具象」の世界を覗いてゆこう。
黴の花そのまま枯るる恐山
句意は「恐山の黴の花は形をそのまま残して枯れているよ」ということ。
見たまま、ありのままを一句に仕立てたものであるが、この句の良さは「そのまま」の言葉を得たことにある。もし句が
黴の花枯れてゐるなり恐山
であったとしてその違いは何か。後者も見たまま、ありのままであるがこれでは単なる報告に終ってしまう。
死者の声を「そのまま」この世に伝えてくれる「いたこ」の居る恐山であるからこそ「そのまま枯るる」の言葉が生きてくるのである。
死者のいるあの世でも今頃は黴の花が枯れかかっているのではないかと思わせる力がある。
黴と黴の花の違いは微妙であるが、黴の花のほうが胞子を突き出したりして派手な様子をしていると思えばよい。
以下順次鑑賞予定
黴の花そのまま枯るる恐山
浦佐魚簗三句
越後人菓子食ふごとく鮎食へり
簗番の杭を削れるなたの音
白桔梗佛像の肩楔継ぎ
玉子酒妻子見守る中に飲む
雲巖寺雪解雫の音こもる
一瓣は日に立ち菖蒲ほぐれゐる
蝮裂く十一月の山水に
下総や胸の高さに鴨の水
秋の鯉一匹は病み離れゐる
鷽替や鷽賣切れの旗上がる
講の人どつと笑へり麦の秋
山椒魚孵る月山九合目
盂蘭盆や岩のくぼみの水たまり
故郷の長兄急逝す
朝寒のとむらひの觸れ太鼓かな
御柱梃子衆を撥ね跳ばしたり