高木良多講評
東京ふうが 平成26年 春季号「墨痕三滴」より
秩父路に電車の響き桃節句 元石一雄
秩父は山が連なっているので電車が通るたびにその反響が鳴りわたってくるのである。
そのひびきの中で秩父の生んだ著名な俳人であった金子伊昔紅・兜太父子を偲んでいるのであろうか。今日は桃の節句の日であるからである。
秩父は山が連なっているので電車が通るたびにその反響が鳴りわたってくるのである。
そのひびきの中で秩父の生んだ著名な俳人であった金子伊昔紅・兜太父子を偲んでいるのであろうか。今日は桃の節句の日であるからである。
上五「よく動く」の説明がよく効いていて蟹の特色が簡明に捉えているので年の市がよくわかる句となっている。無駄な言葉は使わず、俳句は短いから省略することが肝要。
鑑真は唐の学僧で日本律宗の祖。七五三年に来日のときの暴風のために失明したが聖武上皇以下に授戒、のち唐招提寺を建立・鑑真廟に祀られている。今日はセーラー服の女子学生が大ぜい見えている。
鑑真廟と夏服の女子学生の対象が鮮やかに描かれていて良い。
お母さんの着ていた大事な紬織りの着衣なのであろう。縁側に干してしばらくその思い出にひたっているという更衣の句。
潮干狩はお天気が良ければ大勢の人が見える。なかでも父の衣装が赤シャツであるのですぐに目につくという句。単純明快な句。「赤シャツ」の色彩が良いからである。
どんな貧しい家でも門松は門の内か外に飾られてあるのが普通の家であるが、この句の門松は硝子戸の内側に飾られてある。大きなビルの立派な硝子戸の内側なのであろう。丸の内なればである。その意外性が面白い現代俳句となっている。
上五、中七までは平凡な写生であるが、下五の転換は非凡。沖縄では南の海の涯に神がいると信じられていていろいろの行事がある。この「神の留守」の下五にそのような島の国の信仰のような存在が感じられる秀句。
大道芸人が何かの芸のために身を反らしているところをキャッチ。背景の緑蔭が効果的。
風鐸が鳴りやまずであるから風のために鳴りやまずなのであろう。そのため遠足の子らもその間出たり入ったりでその時間的経過が分かる句となっている。写生することが基本におかれているからである。
綿虫と峠路と没り日で情景がはっきりと分かる。夕日の光の関係で綿虫のとぶ姿もはっきりと見える。写生が効いているからである。