「俳句鑑賞「墨痕三滴」」カテゴリーアーカイブ

硝子戸の中の門松丸の内

高木良多講評
東京ふうが 平成24年 冬季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報332号~334号より選

硝子戸の中の門松丸の内 蟇目良雨

どんな貧しい家でも門松は門の内か外に飾られてあるのが普通の家であるが、この句の門松は硝子戸の内側に飾られてある。大きなビルの立派な硝子戸の内側なのであろう。丸の内なればである。その意外性が面白い現代俳句となっている。


潮の香の押しくる荒磯神の留守

高木良多講評
東京ふうが 平成24年 秋季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報329号~331号より選

潮の香の押しくる荒磯神の留守 堀越純

上五、中七までは平凡な写生であるが、下五の転換は非凡。沖縄では南の海の涯に神がいると信じられていていろいろの行事がある。この「神の留守」の下五にそのような島の国の信仰のような存在が感じられる秀句。


遠足の子らに風鐸鳴りやまず

高木良多講評
東京ふうが 平成24年 春季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報322号~324号より選

遠足の子らに風鐸鳴りやまず 深川知子

風鐸が鳴りやまずであるから風のために鳴りやまずなのであろう。そのため遠足の子らもその間出たり入ったりでその時間的経過が分かる句となっている。写生することが基本におかれているからである。


綿虫の湧く峠路の没り日かな

高木良多講評
東京ふうが 平成24年 冬季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報318号~321号より選

綿虫の湧く峠路の没り日かな  石川英子

綿虫と峠路と没り日で情景がはっきりと分かる。夕日の光の関係で綿虫のとぶ姿もはっきりと見える。写生が効いているからである。


新豆腐入荷と墨書なんでも屋

高木良多講評
東京ふうが 平成平成23年 秋季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報316号~318号より選

新豆腐入荷と墨書なんでも屋 元石一雄

 

田舎のなんでも屋の店先に半紙に大きな文字で「新豆腐入荷」と看板がでている。新豆腐の白と墨書の黒とが対照的で新豆腐がおいしそうに見える。


親子して探し物あり柿若葉

高木良多講評
東京ふうが 平成23年 夏季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報313号~315号より選

親子して探し物あり柿若葉 井上芳子

親が何かを探している。子の私もまた別の物を探している。そのような上五、中七の別々のことを結びつけているのは下五の柿若葉の季語となっている。心の中が描き出されている珍らしい一句。


春雷やもろみの眠る仕込蔵

高木良多講評
東京ふうが 平成23年 春季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報311号~312号より選

春雷やもろみの眠る仕込蔵 乾佐知子

 

「もろみの眠る仕込蔵」と春雷は関係がないようであるが遠い底の方でどこかつながっているように思える。ゴロゴロと鳴りながらもろみを育てている音のようにも思えるからである。このような季語の選び方には技術を必要とするところ。


立春大吉鉱泉宿に兜太の書

高木良多講評
東京ふうが 平成23年 冬季・新年号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報307号~310号より選

立春大吉鉱泉宿に兜太の書 鈴木大林子

「兜太の書」は現代俳句協会の金子兜太先生の色紙ということであろう。筆太で色紙からはみ出るような俳句が書かれているので鉱泉宿にふさわしい。「立春大吉」の季語がまたこの句にふさわしく、豪快な一句となった。


真葛原風の荒ぶる吉野みち

高木良多講評
東京ふうが 平成22年 秋季号「墨痕三滴」より
お茶の水句会報304号~306号より選

真葛原風の荒ぶる吉野みち  積田 太郎

 

吉野みちは天智天皇からの難を避け、大海人皇子(のちの天武天皇)が逃れたところ。「風の荒ぶる吉野みち」がそれを象徴。