「皆川盤水」タグアーカイブ

東京ふうが55号(平成30年秋季号)

編集人が語る「東京ふうが」55号

「東京ふうが」編集人より

東京ふうがは書き手が揃っていて読み物の楽しい雑誌になっている。この度韓国の専門家が入会したので更に面白くなるだろう。俳句を通して日本と韓国との友好関係に明るい一石を投じてくれると思う。次回をご期待ください。

蟇目良雨

 

目 次


名句逍遙 <34>  蟇目良雨
皆川盤水秀句鑑賞
高木良多秀句鑑賞

作品7句と自句自解ちょっと立読み

寄り道 高野素十論 25 ちょっと立読み 蟇目良雨
 「杉本零の素十論」

12 墨痕三滴(佳句短評) 蟇目良雨

14 曾良を尋ねて 第38回 ちょっと立読み 乾佐知子
110─ 伊勢神宮参拝以降の曾良の動向 ─
111─ 「曾良日記」に関する一考察
112─ 京都近畿地方での曾良の行動

16 旅と俳句 平成20年 シルクロードの旅 天山北路①ちょっと立読み 石川英子

22 随筆戦時下の中学生の一記録 M・Y

24 コラム 「はいかい漫遊漫歩」ちょっと立読み
(『春耕』より)
松谷富彦
88 – 春窮やルオーの昏き絵を展く 火原翔
89 – 春の夜やいやです駄目ですいけません 井伏鱒二
90 – ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき 桂信子
91 – 窓の雪女体にて湯をあふれしむ 桂信子

29 他誌掲載記事「帆」平成30年12月号「受贈誌管見 海老原正博」

30 第16回 遊ホーッちょっと立読み 洒落斎
(1) 十三億分の一の男

31 風信「俳句大会入選おめでとう」
あとがき

32 句会案内

表3 東京ふうが歳時記 <34> 編集部選

(つづきは本誌をご覧ください。)

東京ふうが54号(平成30年夏季号)

編集人が語る「東京ふうが」54号

「東京ふうが」編集人より

連載中の乾 佐知子さんの「曾良を尋ねて」は河合曾良の「奥の細道随行日記」が元になっている。
私たちが普段見ているこの日記は実は元禄二年九月六日伊勢長島大智院に着くところで終わり「以下略」になっている。
この先は伊勢神宮参拝などがあるのだがこれは原本を当たらないと知ることが出来ない。
私たちは幸い山本六丁子編「曽良奥の細道随行日記 付 元禄四年日記」(小川書房刊)によって続きを知ることが出来る。
もう少し先を楽しむことが出来そうだ。

蟇目良雨

 

目 次


名句逍遙 <33>  蟇目良雨
皆川盤水秀句鑑賞
高木良多秀句鑑賞

作品7句と自句自解ちょっと立読み

10 墨痕三滴(佳句短評) 蟇目良雨

13 寄り道 高野素十論 24 ちょっと立読み 蟇目良雨
松村紅花 資料 「門弟による松村紅花論 三編」

◆「村松紅花名誉会員を悼む― 虚子敬慕を貫かれた人」 谷地海紅
◆俳句評「村松友次(紅花)先生のことなど」 江田浩司
◆鷺孝童先生のこと、村松紅花先生のこと  堀口希望


22 コラム 「はいかい漫遊漫歩」ちょっと立読み
(『春耕』より)
松谷富彦

84—絶滅のかの狼を連れ歩く 三橋敏雄
85—絶滅寸前季語「狼」
86-霧笛の夜こころの馬を放してしまう 金子皆子
87-兜太を支えた同志・妻皆子


27 第15回 遊ホーッちょっと立読み 洒落斎
(1)バッタ
(2)クモ

28 曾良を尋ねて 第37回 ちょっと立読み 乾佐知子

108─ 芭蕉・大智院へ行く ─
109─伊勢神宮参拝に関する一考察


34 句会案内

表3 東京ふうが歳時記 <33> 編集部選

(つづきは本誌をご覧ください。)

東京ふうが53号(平成30年春季号)

編集人が語る「東京ふうが」53号

「東京ふうが」編集人より

大勢の仲間が集まり「都会の憂愁」を詠う目的で始まった「東京ふうが」

は地を這いつくばうようにこれまで進んで来た。この先の到達点はどこになるのだろう。

この度、韓国の俳句に詳しい会員が加わったことで幅が広がるかと思う。楽しみだ。

蟇目良雨

 

目 次


名句逍遙 <32>  蟇目良雨
皆川盤水秀句鑑賞
高木良多秀句鑑賞

作品7句と自句自解ちょっと立読み

10 寄り道 高野素十論 23 ちょっと立読み 蟇目良雨
素十の出生の謎に戻る

15 墨痕三滴(佳句短評) 蟇目良雨

17 コラム 「はいかい漫遊漫歩」ちょっと立読み
(『春耕』より)
松谷富彦
80 -「鶏頭」句に文語文法で迫る新論考登場(上)  –
81 -「鶏頭」句に文語文法で迫る新論考登場(下)  –
82 – 蕉翁句、氷の僧か籠りの僧か –
83 – あんぱんの葡萄の臍や春惜しむ 三好達治-

22 紀行エッセー
出雲・松江「古事記の国に遊ぶ II 」ちょっと立読み
石川英子

26 第14回 遊ホーッちょっと立読み 洒落斎
(1)仏教の話
(2)朝鮮半島の正当性
(3)朝鮮半島の人口

28 曾良を尋ねて 第36回 ちょっと立読み 乾佐知子
105 -山中温泉から敦賀へ  –
106 -敦賀から色の浜へ –
107 -『奥の細道』最終章に関する一考察 –

30 エッセー
「若かりし頃…思い出すままに」
石川英子

33 あとがき

34 句会案内

表3 東京ふうが歳時記 <32> 編集部選

(つづきは本誌をご覧ください。)

東京ふうが52号(平成30年冬季・新年号)

編集人が語る「東京ふうが」52号

「東京ふうが」編集人より

急速なIT化に私たちは今、どの辺を歩いているのか不安になる。しかし、取り巻く環境がどうであれ一個人のやれることはたかが知れている。コツコツと積み上げて行けば山のようになるだろう。諦めては駄目であることを先人は教えてくれている。

蟇目良雨

 

目 次


名句逍遙 <31>  蟇目良雨
皆川盤水秀句鑑賞
高木良多秀句鑑賞

作品7句と自句自解ちょっと立読み

寄り道 高野素十論 22 第35回 ちょっと立読み 蟇目良雨
素十と紅花

16 墨痕三滴(俳句選評) 蟇目良雨

18 俳論 形容詞「美しい」は禁忌句語にあらず!? 松谷富彦

22 紀行エッセー
出雲・松江「古事記の国に遊ぶ I 」ちょっと立読み
石川英子

26 曾良を尋ねて 第35回 ちょっと立読み 乾佐知子
101 -大久保長安に関する一考察 II  –
102 -曽良と大久保長安との関わり –
103 -金沢から山中温泉へ I –
104 -金沢から山中温泉へ II –

30 コラム 「はいかい漫遊漫歩」ちょっと立読み
(『春耕』より)
松谷富彦

32 第13回 遊ホーッちょっと立読み 洒落斎
(1)フェロモン
(2)死海文書

34 書評 「菊坂だより」(『月の匣』《句集曼荼羅》より)

35 あとがき

36 句会案内

表3 東京ふうが歳時記 <31> 編集部選

(つづきは本誌をご覧ください。)

東京ふうが51号(平成29年秋季号)

編集人が語る「東京ふうが」51号

「東京ふうが」編集人より
後期高齢者の仲間入りをした途端に体の不具合が起きた。命に関わるようなことでないのが慰めである。子規はこんな事態でも己を客観視出来た。ここが試練だと踏ん張ればよい俳句を産む力になることだろう。俳句は「客観写生」が第一。いくらかでも余裕があれば抒情を付け加えることをするのが怪我の無いやり方であると戒めている。
蟇目良雨

 

目 次


1 名句逍遙 <30>  蟇目良雨
皆川盤水秀句鑑賞
高木良多秀句鑑賞

2 作品7句と自句自解ちょっと立読み

9 句集鑑賞 ゆりこの どうよ!この俳句(『駒草』12月号より)

10 墨痕三滴(俳句選評) 蟇目良雨

12 曾良を尋ねて 第34回 ちょっと立読み 乾佐知子
99 -「奥の細道」に於ける佐渡とは I  –
100 -佐渡島と大久保長安に関する一考察 –

14 コラム 「はいかい漫遊漫歩」ちょっと立読み
(『春耕』12月号より)
松谷富彦

16 紀行エッセー
高麗神社と釣瓶落しちょっと立読み
石川英子

18 第12回 遊ホーッちょっと立読み 洒落斎
(1)コーラスグループ
(2)気になる歌詞
(3)メッキ、ホーロー

19 あとがき

20 句会案内

表3 東京ふうが歳時記 <30> 編集部選

(つづきは本誌をご覧ください。)

東京ふうが50号(平成29年夏季号)

編集人が語る「東京ふうが」50号

「東京ふうが」編集人より
とあるところで「久女の悲劇の始まり」と題して講演した。「東京ふうが」をお読みの方ならすぐに虚子の陰謀でありその元を作ったのは素十であることがお分かり頂けると思う。今回学んだことは大正から昭和にかけての女流俳人の強さであった。いづれ勉強したいテーマである。
蟇目良雨

 

目 次


1 名句逍遙<29>  蟇目良雨
皆川盤水秀句鑑賞
高木良多秀句鑑賞
2 作品7句と自句自解ちょっと立読み

8 墨痕三滴(俳句選評) 蟇目良雨

10 寄り道 高野素十論 21ちょっと立読み 蟇目良雨
「久女の悲劇の始まり」

23 曾良を尋ねて 第33回 ちょっと立読み 乾佐知子
95 -立石寺・最上川より出羽三山へ –
96 -象潟と「みのの国の商人 低耳」 –
97 -越後・村上での曾良の一考察Ⅰ –
98 -越後・村上での曾良の一考察Ⅰ –

26 良雨●木曽の句 『俳壇』8月号「日本の樹木十二選」掲載より

28 <特集>例句から読み取るオノマトペ俳句考ちょっと立読み 松谷富彦

32 旅と俳句 台湾紀行III
閩南語の島々を訪ねて(2)ちょっと立読み
石川英子
1.序
2.出発 桃園国際空港へ
3.金門尚義空港から金門城

42 他誌掲載より・句集案内「菊坂だより」

44 第10回 遊ホーッちょっと立読み 洒落斎
(1)童謡「かなりや」
(2)せりふ(台詞、科白)

45 あとがき

46 句会案内

表3 東京ふうが歳時記 <29> 編集部選

(つづきは本誌をご覧ください。)

句集逍遥—高木良多句集『雪解雫』の清新さ

 昭和五十七年十月に高木良多第一句集『雪解雫』が刊行された。発行所「風発行所」、発行人「細身綾子」。印刷所「鋭文社」。和紙を貼った白一色の箱には只「雪解雫」と題簽が墨書されているだけの簡単なデザイン。本体は鬱金色の布地を貼ったハードカバー本。

 当時、私はまさに俳句を始めたばかりであり、句集の良し悪しなど判るはずもなかった。四十歳になったばかりの割烹「ちよだ」という料理屋の経営者でゴルフに夢中になっていた頃である。

 今、四半世紀を過ぎて改めて『雪解雫』を手に取り驚きを感じた。題簽は書家の齋藤丹鶴氏の手によるものであり、序文は澤木欣一、跋文が皆川盤水。実に贅沢な句集である。
 扉に「蟇目駿英君」と良多先生の墨書がしてある。この墨書の通り私はまだ俳号を持たない駆け出しの俳句初心者であった。句集は開くとページが開き放しになる上質の紙を使用しているなど現今の句集では及びつかない心配りがしてある。

 序文で澤木欣一は「良多俳句の第一の特徴は正直一徹な把握で、あらゆる対象に柔軟に興味を示し、三尺の童のように驚きを発するところにある。こういう俳句は年輪を重ね、熟して来ると恐るべきものとなる。小利口で小手先を利かせる器用な人とは全く違う、あくまで正攻法の作家である。」と見抜いている、この態度は良多俳句において今も変わらぬスタイルである。

透徹した「即物具象」の世界を覗いてゆこう。

黴の花そのまま枯るる恐山

 

 句意は「恐山の黴の花は形をそのまま残して枯れているよ」ということ。
 見たまま、ありのままを一句に仕立てたものであるが、この句の良さは「そのまま」の言葉を得たことにある。もし句が

黴の花枯れてゐるなり恐山

であったとしてその違いは何か。後者も見たまま、ありのままであるがこれでは単なる報告に終ってしまう。
 死者の声を「そのまま」この世に伝えてくれる「いたこ」の居る恐山であるからこそ「そのまま枯るる」の言葉が生きてくるのである。
 死者のいるあの世でも今頃は黴の花が枯れかかっているのではないかと思わせる力がある。
 黴と黴の花の違いは微妙であるが、黴の花のほうが胞子を突き出したりして派手な様子をしていると思えばよい。


以下順次鑑賞予定 

黴の花そのまま枯るる恐山
 浦佐魚簗三句
越後人菓子食ふごとく鮎食へり
簗番の杭を削れるなたの音
白桔梗佛像の肩楔継ぎ
玉子酒妻子見守る中に飲む
雲巖寺雪解雫の音こもる
一瓣は日に立ち菖蒲ほぐれゐる
蝮裂く十一月の山水に
下総や胸の高さに鴨の水
秋の鯉一匹は病み離れゐる
鷽替や鷽賣切れの旗上がる
講の人どつと笑へり麦の秋
山椒魚孵る月山九合目
盂蘭盆や岩のくぼみの水たまり
故郷の長兄急逝す
朝寒のとむらひの觸れ太鼓かな
御柱梃子衆を撥ね跳ばしたり