編集人が語る「東京ふうが」38号
「東京ふうが」編集人より
高野素十と水原秋櫻子の「自然の真と文芸上の真」論争でその引き金を引いたと言われる俳誌『まはぎ』に掲載された論文はどんな内容なのか、それほど秋櫻子を傷つけたのか大変曖昧である。本号ではその『まはぎ』に焦点を当ててみた。読者のお役に立てば幸いである。
なお、発行人が高木良多先生から蟇目良雨に交代した。先生ご高齢のためにお申し出がありここにご報告する。
蟇目良雨
目 次
- 1 名句逍遥
- 欣一俳句の鑑賞(17) 高木良多
- 良多俳句の鑑賞(17) 蟇目良雨
- 2 作品七句と自句自解「夏季詠」 ►ちょっと立読み
- 6 墨痕三滴(俳句選評) 鑑賞:蟇目良雨
- (お茶の水句会報349~351号より選んだもの)
- 7 八千草日記 高木良多 ►ちょっと立読み
- (5) 岩煙草(いわたばこ)
- (6) 蕺 草(どくだみ)
- 8 寄り道 高野素十論 < 9 > 蟇目良雨 ►ちょっと立読み
- 18 東京大空襲体験記 銃後から戰後へ <30> 鈴木大林子
- 「白内障手術体験記」 ►ちょっと立読み
- 20 曾良を尋ねて < 21> 乾 佐知子
- 59 安宅丸と堀田正俊の刺殺まで ►ちょっと立読み
- 60 安宅丸と堀田正俊の刺殺まで ②
- 61 堀田正俊の刺殺とその後
- 23 子規の滑稽俳句を探る 蟇目良雨 ►ちょっと立読み
- 26 高幡不動の歴史 高木良多
- 27 書評「俳句探訪」 山口耕堂
- 22 会友招待席(会友句鑑賞)
- 「鑑賞と添削」 高木良多 ►ちょっと立読み
- 24 後書 高木良多
- 24 句会案内
- 表3 東京ふうが歳時記 < 17 >【 夏 】 編集部選
編集人が語る「東京ふうが」37号
「東京ふうが」編集人より
安倍内閣の集団的自衛権行使への道筋がなし崩しに付けられている昨今ですが、戦前もいつの間にか戦争への道筋がつけられたのかと思うと恐ろしくなります。
考えないという態度が国を危うくするのでしょう。
子や孫の時代に不幸な思いをさせないように正しい道を考え、探し続けましょう。俳句の道に於いても。
蟇目良雨
目 次
- 1 名句逍遥
欣一俳句の鑑賞(16) 高木良多良多俳句の鑑賞(16) 蟇目良雨
- 2 作品七句と自句自解「春季詠」 ►ちょっと立読み
- 6 墨痕三滴(俳句選評) 添削:高木良多
- 7 八千草日記 高木良多 ►ちょっと立読み
繡線菊(しもつけ)未央柳(びようやなぎ)
- 8 寄り道 高野素十論 < 8 > 蟇目良雨 ►ちょっと立読み
- 10 東京大空襲体験記 銃後から戰後へ <29> 鈴木大林子
- 11 曾良を尋ねて < 20> 乾 佐知子
桃印の謎、田中善信説について
►ちょっと立読み「杉風生簀番小屋説」の真贋について「杉風生簀番小屋説」の真贋についてII
- 13 「旅と俳句」梅里雪山の旅< 最終回 > 石川英子
- 22 会友招待席(会友句鑑賞)
- 24 後書 高木良多
- 24 句会案内
- 表3 東京ふうが歳時記 < 16 >【 春 】 編集部選
編集人が語る「東京ふうが」36号
「東京ふうが」編集人より
子規が35歳で逝き、芭蕉が50歳で逝き、一茶は65歳で逝き、蕪村が68歳で逝きと没年を書き連ねてみたのは、一家をなした先人のことをしきりに思うからである。
蕪村をも超えて馬齢を重ねている己を叱咤して「東京ふうが」に力を注入しつづけたい。
蟇目良雨
目 次
- 1 名句逍遥
欣一俳句の鑑賞(15) 高木良多良多俳句の鑑賞(15) 蟇目良雨
- 2 作品七句と自句自解「冬季・新年詠」 ►ちょっと立読み
- 6 墨痕三滴(俳句選評) 添削:高木良多
- 7 八千草日記 < 1 > 高木良多 ►ちょっと立読み
- 8 寄り道 高野素十論 < 7 > 蟇目良雨 ►ちょっと立読み
- 10 東京大空襲体験記 銃後から戰後へ <28> 鈴木大林子
- 11 曾良を尋ねて < 19> 乾 佐知子
- 13 「旅と俳句」梅里雪山の旅< 2 > 石川英子
- 21 「澤木欽一の行脚風景」発行の顛末 高木良多 ►ちょっと立読み
- 22 会友招待席(会友句鑑賞)
- 24 後書 高木良多
- 24 句会案内
- 表3 東京ふうが歳時記 < 15 >【 冬季・新年 】 編集部選
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編集人が語る「東京ふうが」35号
「東京ふうが」編集人より
高木良多が連載していた澤木欣一の句集研究が一冊に纏まり、『俳人澤木欣一 行脚の風景』として出版された。
また、蟇目良雨の「寄り道 高野素十論」は四Sと呼ばれた高野素十の絶頂期に何が起こったかを研究。虚子と素十と秋櫻子の微妙な関係を描いて興味尽きない。
乾佐知子の「曾良を尋ねて」は、芭蕉が深川へ引退したのは綱吉将軍就任の際のトバッチリを受けてのことという説を引用しハラハラドキドキになる。
このほかの読み物と俳句も都会の哀愁を掬い稀有な俳句集団と言えるだろう。
蟇目良雨
目 次
- 1 名句逍遥
欣一俳句の鑑賞(14) 高木良多良多俳句の鑑賞(14) 蟇目良雨
- 2 作品七句と自句自解「秋季詠」 ►ちょっと立読み
- 6 墨痕三滴(俳句選評) 添削:高木良多
- 7 【寄り道 高野素十論】< 6 > 蟇目良雨 ►ちょっと立読み
- 11 東京大空襲体験記 銃後から戰後へ <27> 鈴木大林子
- 13 曾良を尋ねて < 18> 乾 佐知子
- 15 「旅と俳句」梅里雪山の旅< 1 > 石川英子
- 18 小林螢二さんご遺族・小林和子さんの手紙から
- 19 卒寿祝ノ謝辞 高木良多 ►ちょっと立読み
- 20 会友招待席(会友句鑑賞)
- 21 後書 高木良多
- 22 句会案内
- 表3 東京ふうが歳時記 < 14 >【 秋季 】 編集部選
編集人が語る「東京ふうが」34号
「東京ふうが」編集人より
現代の人が俳句を続ける源流は松尾芭蕉にあると思う。
芭蕉のストイックな生き方が現代においても人生の目標に値するのであろう。
考えたら日本人はとんでもない傑物を生み出してしまったのである。
「東京ふうが」においても乾佐知子氏が曾良の生き方を通して芭蕉に肉薄しているので是非お読みいただきたいと考えている。
蟇目良雨
目 次
- 1 名句逍遥
欣一俳句の鑑賞(13) 高木良多良多俳句の鑑賞(13) 蟇目良雨
- 2 作品七句と自句自解「夏季詠」 ►ちょっと立読み
- 6 墨痕三滴(俳句選評) 添削:高木良多
- 7 【寄り道 高野素十論】< 5 > 蟇目良雨 ►ちょっと立読み
- 10 東京大空襲体験記 銃後から戰後へ <26> 鈴木大林子
- 11 曾良を尋ねて < 17> 乾 佐知子
- 14 「旅と俳句」2012 インド漫遊の旅< 4 > 石川英子
インド・ネパール国境スノウリ
►ちょっと立読み
釈迦涅槃の地クシナガラ仏教の夜明けサールナート
帰国
追録
- 22 研究 「奥の細道」で芭蕉が新潟を素通りしたのは何故か 蟇目良雨
- ►ちょっと立読み
- 31 会友招待席(会友句鑑賞)
- 32 『2011一日一句集』紹介文
「水明」2013年1月号より
- 33 高木良太先生卒寿祝賀会
- 34 後書 高木良多
- 34 句会案内
- 表3 東京ふうが歳時記 < 13 >【 夏季 】 編集部選
編集人が語る「東京ふうが」33号
「東京ふうが」編集人より
俳句作品も、俳画や写俳などの作品も形態の違いがあるけれど、その真の価値は作品に真心が籠められているか否かにかかっていると思う。
「東京ふうが」は表紙絵の俳画以外は全て俳句作品であるから俳句に真心が籠められているかどうかが問われている。
俳句を鑑賞して一句の中に真心が籠められているかどうかは自句自註や俳句添削欄を見ていただければ自ずと理解していただけると思っている。
こうした細かな積み重ねが大切なことであると気を引き締めて編集に当っている。
蟇目良雨
目 次
- 1 名句逍遥
欣一俳句の鑑賞(12) 高木良多良多俳句の鑑賞(12) 蟇目良雨
- 2 作品七句と自句自解「春季詠」 ►ちょっと立読み
- 5 墨痕三滴(俳句選評) 添削:高木良多
- 6 澤木欣一の句集 高木良多
- 12 【寄り道 高野素十論】< 4 > 蟇目良雨 ►ちょっと立読み
- 15 東京大空襲体験記 銃後から戰後へ <25> 鈴木大林子
- 16 曾良を尋ねて < 16> 乾 佐知子
旅の経費に関わる一考察
►ちょっと立読み
旅の出費に関する一考察
旅の出費に関する一考察(その2)
- 19 「旅と俳句」2012 インド漫遊の旅< 3 > 石川英子
空路にも寄り道 ウルラー
►ちょっと立読み
聖なる川ガンガー
クレイジーハッピーホーリー
- 24 会友招待席(会友句鑑賞)
- 25 後書 高木良多
- 26 句会案内
- 表3 東京ふうが歳時記 < 12 >【 春季 】 編集部選
編集人が語る「東京ふうが」32号
「東京ふうが」編集人より
「5千粒、1万粒の涙」
3月9日の朝日新聞記事に、東日本大震災のシリーズものが掲載されていました。
その中に、津波で父も祖父母も亡くした大槌町の小学五年生の少年が、地元に伝わる郷土芸能の七福神踊に没頭して悲しみを紛らわせている様子が報じられています。
「踊っていると、じいじとばあばが見に来て、笑っているような感じがした。ちょっとうれしかったです。」
と今の心境を語り、悲しみは少しずつ癒されているという中に、この少年が語る次の言葉に感激しました。
「津波の時、夜になっておかんが無事だとわかるまで、心配で、避難所で、五千粒、一万粒の涙を流しました。親が二人ともいなくなったんだから、自分より、おかんの方がつらいと思う。津波注意報が来て、おかんと離れていると、心配で仕方がありません。」
この少年が語る「5千粒、1万粒の涙」という胸を打つ飾らない即物具象の言葉こそ俳人の探すべき言葉だと思ったものです。
蟇目良雨
目 次
- 1 名句逍遥
欣一俳句の鑑賞(11) 高木良多良多俳句の鑑賞(11) 蟇目良雨
- 2 作品七句と自句自解「冬季・新年詠」 ►ちょっと立読み
- 5 墨痕三滴(俳句選評) 添削:高木良多
- 6 澤木欣一の句集 高木良多
- 19 【寄り道 高野素十論】< 3 > 蟇目良雨 ►ちょっと立読み
- 26 東京大空襲体験記 銃後から戰後へ <24> 鈴木大林子
- 28 曾良を尋ねて < 15 > 乾 佐知子
江戸初期の幕藩体制と改易について
►ちょっと立読み
路通から曾良へ
齋部路通について
旅立ち直前における動向について
- 32 「旅と俳句」2012 インド漫遊の旅< 2 > 石川英子
ダージリン観光
►ちょっと立読み
カルカッタは暑かった
カルカッタの街ぶらぶら
ラピスラズリの首飾り
- 38 会友招待席(会友句鑑賞)
- 39 後書 高木良多
- 40 句会案内
- 表3 東京ふうが歳時記 < 11 >【 冬季 】 編集部選
編集人が語る「東京ふうが」31号
「東京ふうが」編集人より
素十を勉強してゆくと、素十の俳句作品の魅力とともに素十が門弟と一対一で対話をするように門弟
の作品鑑賞を行う場面の出くわす。
「俳句は作者抜きには語ることが出来ない文学」といわれる所以は、俳句が「座の文芸」から出発していることと無縁ではない。
身分は問わないが、その人なりが理解されなければ「座の文芸」は成り立たないのである。
「東京ふうが」において素十の人間臭さから筆を起こしたが、これは素十の人間好きの根底にあるものが、やがて「座の文芸」という現代では忘れかけてきた「俳句の根源」を素十が大切にしていたことに繋がる予感がしている。
そんな視点で素十論に立ち向かいたい。
蟇目 良雨
目 次
- 1 名句逍遥
欣一俳句の鑑賞(10) 高木良多良多俳句の鑑賞(10) 蟇目良雨
- 2 作品七句と自句自解「秋季詠」 ►ちょっと立読み
- 5 墨痕三滴(俳句選評) 添削:高木良多
- 6 澤木欣一の句集 高木良多
- 16 【寄り道 高野素十論】< 2 > 蟇目良雨 ►ちょっと立読み
- 22 東京大空襲体験記 銃後から戰後へ <23> 鈴木大林子
- 24 曾良を尋ねて < 14 > 乾 佐知子
- 26 「旅と俳句」2012 インド漫遊の旅< 1 > 石川英子
インドへの第一歩
►ちょっと立読み
アーグラーのタージマハール
デリー市内いぶーらぶら
ダージリンはヒマラヤ裾の町
カンチェンジュンガの夜明け
- 33 特別寄稿「未来への絆〜大震災復興を誓って子供の植樹活動」
元石一雄►ちょっと立読み
- 35 蟇目良雨著『2011一日一句集』に寄せて
- 39 「東京ふうが」の仲間の皆さんが選んだ『2011一日一句集』からの五句選
- 40 会友招待席(会友句鑑賞)
「鑑賞と添削」 高木良多
- 41 後書 高木良多
- 42 句会案内
- 表3 東京ふうが歳時記 < 10 >【 秋季 】 編集部選
編集人が語る「東京ふうが」30号
「東京ふうが」編集人より
※ 寄り道高野素十論を書くに当って
混沌とした現代の俳句界にとって客観写生を貫いた高野素十の俳句は貴重である。
写生の中に余情がにじみ出してくる名句を素十はどのように会得したのか。
その生き様を辿ることにより理解できるかもしれないと筆を起こしたのが「寄り道高野素十論」。
ライフワークにするつもりで書きます。
蟇目 良雨
目 次
- 1 名句逍遥
欣一俳句の鑑賞(9) 高木良多良多俳句の鑑賞(9) 蟇目良雨
- 2 作品七句と自句自解「夏季詠」 ►ちょっと立読み
- 6 墨痕三滴(俳句選評) 添削:高木良多
- 6 澤木欣一の「俳話草紙」<2> 高木良多
- 9 澤木欣一の句集 高木良多
- 14 「水郷の風土」余聞<その14> 高木良多
蘆原の中つ国
- 15 【寄り道 高野素十論】 蟇目良雨
- 27 東京大空襲体験記 銃後から戰後へ <22> 鈴木大林子
- 21 曾良を尋ねて < 13 > 乾 佐知子
34回 曾良と諏訪家に関する一考察
►ちょっと立読み35回 諏訪藩と俳諧の流れ36回 曾良と伊勢藩主松平良尚37回 東京大学 総合図書館
- 24 ミニエッセー「旅と俳句」
ネパール・ヒマラヤ紀行2011 石川英子
- 31 会友招待席(会友句鑑賞)
「鑑賞と添削」 高木良多
- 31 後書 高木良多
- 32 句会案内
- 表3 東京ふうが歳時記 < 9 >【 夏季 】 編集部選
編集人が語る「東京ふうが」29号
「東京ふうが」編集人より
芭蕉曰く「俳諧は三尺の童にさせよ」(三冊子)。
俳句は童子が何に対しても驚くような素直な心を持って行えと言うことだ。その芭蕉は満51歳で亡くなる。異国の文物に触れようと心に長崎への旅を夢見ながら。
今、「東京ふうが」の連衆は70歳台から90歳になんなんとする仲間たちばかりだ。芭蕉には考えられなかった年齢である。しかし心だけは三尺の童より若いと自負している。俳句研究に旅に老いの輝きを灯し続けている。
蟇目 良雨
目 次
- 1 名句逍遥
欣一俳句の鑑賞(8) 高木良多良多俳句の鑑賞(8) 蟇目良雨
- 2 作品七句と自句自解「春季詠」 ►ちょっと立読み
- 6 墨痕三滴(俳句選評) 添削:高木良多
- 7 澤木欣一の句集 高木良多
- 17 俳句紀行 アンコールワット 蟇目良雨
- 27 東京大空襲体験記 銃後から戰後へ <21> 鈴木大林子
- 27 曾良を尋ねて < 12 > 乾 佐知子
- 30 ミニエッセー「旅と俳句」
ネパール・ヒマラヤ紀行2011 石川英子
〜仏陀の生誕地・ルンビニ〜5.テラウラコット遺蹟
►ちょっと立読み6.ルンビニ園7.スノウリ8.旧王国ダルバール広場
- 37 会友招待席(会友句鑑賞)
「鑑賞と添削」 高木良多
- 38 後書 高木良多
- 38 句会案内
- 表3 東京ふうが歳時記 < 8 >【 春季 】 編集部選
都会の郷愁と風雅を俳句とエッセーに掬いとる俳句同人集団